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文化財の概要コンテンツ

文化財名称(はぎやき)のさかこうき(こうき)
(萩焼)野坂康起(康起)
指定県指定
市町萩市区分無形文化財時代
一般向け
説明
 萩焼は、萩藩主毛利氏の御用窯として現萩市松本に開窯されたのを起源としてその技術は今日まで連綿として受け継がれ、とりわけ茶陶界での評価は「一楽二萩三唐津」といわれるように高いものがある。
 なお、この平成14年1月末には、萩焼が経済産業省から伝統工芸品の指定を受けたところである。
 野坂(旧姓は小田)康起は、育った三重県や岐阜県で修業を重ね、志野・瀬戸黒の人間国宝であった荒川豊蔵(1894-1985)に師事もし、昭和31年(1956)日展に初入選、以後22回の入選を果たす。同33年、萩・野坂江月窯(こうげつかま)の婿養子となって、萩での作陶が始まる。しばらく、現代工芸美術家協会や日本新工芸家連盟で活躍していたが、昭和59年日本伝統工芸展に初出品して初入選。平成3年(1991)山口県選奨を受賞。
 以上のような経歴から、多種多様な土や釉(ゆう)、そして窯に触れ、東日本系の技術を熟知するとともに西日本系の技術を身につけた陶芸家として大変珍重されるべき存在である。とりわけ伊羅保(いらぼ)釉と線文(せんもん)は、野坂の独壇場といえるものである。伊羅保釉は、その表面がイライラしていることからその名があるが、鉄分が多く含まれた赤土に木灰を混合した素朴な釉のことである。これは、江戸時代前期に萩焼で見られた技法の復興でもある。線文は、表面に線刻で文様を表現するもので、豊かな装飾性をもたらす。これら萩焼に新たな息吹を吹き込んだ実績は、非常に高く評価される。
小学生向け
説明
 萩焼は、萩藩主毛利氏の保護を受けて藩主をはじめとする人々の焼物を焼く窯として、いまの萩市松本ではじめられ、その技術は今日まで絶えることなく受け継がれてきました。「一楽二萩三唐津」といわれるように高く評価されています。
 野坂康起は、育った三重県や岐阜県で修業を重ね、志野・瀬戸黒の人間国宝・荒川豊蔵からも教えを受け、日展に22回も入選しました。その後、萩・野坂江月窯(こうげつかま)のむこ養子となって、萩での制作を開始、活躍し、日本伝統工芸展で入選、山口県選奨を受賞しました。
 さまざまな土やうわぐすり(素焼きの焼物の表面にかけて、水をはじき、つやをあたえるために使うガラス質のもの)や窯にふれ、東日本系と西日本系の両方の技術を身につけた陶芸家として、たいへん貴重です。とくに伊羅保釉(いらぼゆう)と線文(せんもん)は、独特のものです。伊羅保釉は、その表面がイライラ(ちくちく)しているのでその名があります。赤土に灰を混ぜたうわぐすりです。線文は、表面に線彫りでもようをつけたものです。これらによって萩焼に新たないぶきを吹き込みました。
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