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文化財の概要コンテンツ

文化財名称けんぽんちゃくしょくおおうちよしたかがぞう
絹本着色大内義隆画像
指定県指定
市町山口市区分有形文化財時代室町時代
一般向け
説明
 山口市大殿大路の龍福寺の所蔵である。
 掛幅装で寸法は縦77cm、横37.8cm。
 大内義隆は大内氏最後の当主である。その領国は7ヶ国に及び、位は従二位、官は大宰大弐。兵部卿、侍従を兼ねた。家を継ぐとすぐ近隣の国々を治めることに意を注ぎ各地に出兵した。しかし後年文人的生活にふけるようになり、武断派と対立した。そのため一門の重臣陶晴賢と不和となり、攻められて討死した。1551年(天文20)9月1日のことである。
 1557年(弘治3)毛利隆元は養父義隆の菩提寺として龍福寺を再興し、ついで義隆の画像を描かせ、異雪慶殊にその賛を書かせた。これが龍福寺に伝わる義隆画像である。賛を書いた異雪は長門深川の大寧寺13世の住職であった。義隆が大寧寺で討死する前、義隆はこの異雪に菩薩戒を受け自刃したのである。
小学生向け
説明
 この絵は、山口市龍福寺にあります。寸法はたて77cm、横38cmです。
 大内義隆(おおうちよしたか)は、室町時代、山口の町を本拠に中国地方西部一帯におおきな勢力をもった大内家最後の当主です。一門の重臣陶晴賢(すえはるかた)の謀反にあい、1551年(天文20)9月、長門深川の大寧寺で自害しました。
 その後、陶氏は毛利元就・隆元親子によって滅ばされます。毛利隆元(もうりたかもと)は若い頃を山口で過ごし義隆に可愛がられていました。1557年、隆元は義隆の菩提寺(ぼだいじ)として龍福寺を再興し、ついで義隆の画像を描かせました。これが龍福寺につたわる義隆の画像です。大寧寺の住持であった異雪慶殊が賛を書いています。
画像<絹本着色大内義隆画像>縮小画像(オリジナル画像表示リンク)
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