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文化財要録コンテンツ

名称関連文化財名称(鷺流狂言)小林栄治
要録名称
指定関連指定区分・種類無形文化財
指定年月日昭和42年1月17日(山口県教育委員会告示 第2号)
所在地関連所在地
所有者関連所有者

保持者関連
保持者
小林栄治

文化財詳細
由来及び沿革

 山口市の鷺流狂言は、その源流を萩の毛利藩のお抱狂言に発している。毛利藩の狂言方には大蔵流に春日、原、山本、鷺流に江山、嶋田、山本、計六家があった。鷺流の山本弥八家は、山本甚五兵衛久則というものが毛利秀就に召抱えられ石川慶八の門弟として狂言を習得し、その技をもって仕えた。この甚五兵衛には男子がなく、吉松某の男を養子としたが、これが山本清九郎勝で、江戸に上り大蔵弥太郎の門弟となり大蔵流の皆伝をうけている。この清九郎の実子はみな早世したので、三谷長兵衛の男を養子とした。これが山本藤八久恒で、この藤八は流儀替を仰付られ、鷺伝右衛門の門弟となり皆伝をうけて、鷺流をもって仕えることとなった。ところが、藤八は鷺流に変ったが同流のものがいなくて上演に不都合であったので、江山源兵衛、近藤久次郎両人を門弟として養成し、両人を藩の御顧として召出されるように尽力した。この藤八の嫡子山本弥八久正も、鷺伝右衛門の門弟となり残らず相伝をうけておりその養子八九郎清房以後代々鷺流狂言をもって仕えた。江山家は大和国の渡辺源兵衛助が母方の姓江山を名乗って、毛利吉元に仕えたのが初めてである。この源兵衛は前記のように山本藤八に鷺流狂言の稽古を受け、更に江戸に上って鷺伝右衛門の弟子となりその後代々鷺流狂言をもって毛利藩に仕えた。

 春日家は、春日五郎左衛門就清が秀就公の小姓に召出され、長命次郎太夫の門弟となって狂言師として仕えたのがはじめである。二代目五郎左衛門成生、三代目権七直正、四代目万七直良と続き、幕末の春日庄作に伝えた。庄作は文化14年萩藩士、佐々木三右衛門の次男として萩に生れた。安政5年4月、吉見鉄吉、浅井清寿、野中儀右衛門、名女川栄四郎、名女川正三郎の後見により鷺寛太郎から伝授をうけている。庄作は、明治維新後は狂言に見切をつけ、農業に従事するため厚狭郡善和村に移住したが、事業は意の如くならなかった。ときに、山口の野田に能舞台ができ能楽も行われる気運となったので、明治20年頃すすめられて山口に出て道場門前本圀寺に仮寓して弟子を教えたり、野田の能奉納に対して狂言の中心人物として活躍し、その妙技を発揮した。庄作は、鷺流の狂言師としては全国唯一の名手であったと称揚せられる腕をもっていたという。明治30年80才で死没した。資性は温和でかつ磊落であり、芸道一筋の人であった。平常は徒歩にも苦しむ程の老齢に至っても、一度舞台に登ると別人の如く思われる程であったといわれている。

 庄作の門弟には、永久竜三郎、吉見安太郎、原田利三郎、西村直太郎、中山岩吉、永久栄次郎、津田亀吉、田口光三、清水治三郎、松村弥一等がいて一時は隆盛をきわめたが、年代がたつにつれて物故し、衰頽の一途をたどった。これを憂えた山口市内の有志は、昭和29年200余名の協賛を得て鷺流狂言保存会を結成し庄作の直弟子で唯一の生存者である田口光三を中心として伝習者の養成や、実技の観賞、また史実の研究を随時開催した。昭和36年鷺流の復興に力を尽くした田口光三は没し、庄作の直弟子は全くなくなった。現在、保存会は、小林栄治を中心にその技をみがきその伝統をつたえている。

 小林栄治は、平成12年、文化財保護法五十年記念文化財保護功労者として表彰をうけた。



演目

上演可能演目

皹 因幡堂 伊呂波 靱猿 鬼瓦 伯母ケ酒 柿山伏 鎌腹 不聞座頭 金藤左衛門 昆布売 咲花 清水 舎弟 宗論 末広がり 墨塗

空腕 千鳥 鈍太郎 技殻 伯養 雛聟 不毒

布施無経 文荷 棒縛 宮城野 物真似

その他




画像
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