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  4. 大内氏/年表

大内氏/年表


西暦 和暦 足利将軍 大内当主 大内氏 社会
1309 延慶2   重弘 弘幸、岩国・永興寺を創建  
1310 延慶3        
1311 応長1        
1312 正和1     東大寺国衙領の目代と在庁官人(大内重弘ら)との間で諍い起る。のち目代解任  
1313 正和2        
1314 正和3        
1315 正和4        
1316 正和5        
1317 文保1        
1318 文保2        
1319 元応1        
1320 元応2   弘幸 重弘死去、菩提寺乗福寺  
1321 元亨1         
1322 元亨2        
1323 元亨3        
1324 正中1       正中の変
1325 正中2     このころ弘世生まれる  
1326 嘉暦1        
1327 嘉暦2        
1328 嘉暦3        
1329 元徳1        
1330 元徳2        
1331 元徳3/
元弘1
      元弘の変/楠正成挙兵
1332 正慶1/
元弘2
      後醍醐天皇隠岐配流
1333 正慶2/
元弘3
      鎌倉幕府滅ぶ/後醍醐天皇京都にもどる/建武の新政
1334 建武1      
1335 建武2       中先代の乱/足利尊氏反乱
1336 建武3/
延元1
    尊氏より鷲頭長弘は周防守護に、厚東武実は長門守護に任ぜられる/敷山城の戦 湊川の戦い/建武式目制定/南北朝の対立
1337 建武4/
延元2
       
1338 暦応1/
延元3
尊氏     足利尊氏、征夷大将軍に
1339 暦応2/
延元4
      後醍醐天皇死去
1340 暦応3/
興国1
       
1341 暦応4/
興国2
    氏寺の興隆寺が放火される 天竜寺船、元へ派遣/幕府、五山十刹を定む
1342 康永1/興国3       征西将軍懐良親王、九州上陸
1343 康永2/興国4        
1344 康永3/興国5        
1345 貞和1/
興国6
    乗福寺の塔を周防国の利生塔にあてる 国ごとに安国寺・利生塔がおかれる
1346 貞和2/正平1        
1347 貞和3/正平2        
1348 貞和4/正平3        
1349 貞和5/正平4       足利直冬、中国探題として鞆(広島県)に
1350 観応1/
正平5
    弘世ら、石見国に入り、高師泰をうつ 観応の擾乱/九州で足利直冬挙兵/倭寇、高麗沿岸を荒らす
1351 観応2/
正平6
    弘世、南朝より周防国守護を任ぜられる  
1352 文和1/
正平7
  弘世 弘世、鷲頭氏を攻める/弘幸死去、菩提寺は山口・永興寺  
1353 文和2/
正平8
    弘世、このころ周防国平定  
1354 文和3/
正平9
       
1355 文和4/
正平10
    長門・厚東義武を攻める  
1356 延文1/
正平11
    このころ義弘生まれる 二条良基「莵玖波集」編む
1357 延文2/
正平12
       
1358 延文3/
正平13
義詮   厚東氏居城霜降城攻め落とす。南朝の長門国守護に 義満生まれる/尊氏死去
1359 延文4/
正平14
       
1360 延文5/
正平15
    弘世が山口に本拠地を移したと伝えられている(山口古図)  
1361 延文6/
正平16
      菊池武光と懐良親王(南朝)、大宰府を占拠し征西将軍府をおく
1362 貞和1/
正平17
       
1363 貞和2/
正平18
    弘世が中国管領細川頼之の調停で北朝方に転じ、周防・長門国守護を任ぜられる  
1364 貞和3/
正平19
    豊前で厚東氏らに大敗/弘世、初めて上洛し、将軍に謁す(太平記)。  
1365 貞和4/
正平20
       
1366 貞和5/
正平21
    石見平定  
1367 貞治6/
正平22
義満     細川頼之、執事就任/義詮死去
1368 応安1/
正平23
      応安の半済令/元滅び、明起る
1369 応安2/
正平24
    山口に京都から祗園社を勧請する 倭寇、明の沿岸部を荒らす
1370 応安3/
建徳1
    住吉神社本殿建立/このころ厚東氏消滅  
1371 応安4/
建徳2
    義弘、貞世に従い九州へ 九州探題今川貞世西国平定のため九州下向
1372 応安5/文中1        
1373 応安6/
文中2
    明使趙秩ら、山口に滞在し「山口十境の詩」をつくる  
1374 応安7/文中3       観阿弥世阿弥、義満の前で猿楽を演じる
1375 永和1/
天授1
      水島の陣で貞世、小弐氏を騙し討ち、人望失う
1376 永和2/
天授2
    義弘、石見国守護に  
1377 永和3/
天授3
    貞世・義弘、高麗使節へ倭寇禁圧協力を約束/盛見生まれる 高麗への倭寇侵入ピーク
1378 永和4/
天授4
      義満、花の御所をつくる
1379 康暦1/天授5       細川頼之失脚
1380 康暦2/天授6    義弘 弘世死去、菩提寺乗福寺。  
1381 永徳1/
弘和1
       
1382 永徳2/
弘和2
       
1383 永徳3/
弘和3
    義弘、二条良基より「連歌十問秘抄」贈られる  
1384 至徳1/元中1     新後拾遺和歌集成る。義弘、二首入集  
1385 至徳2/元中2        
1386 至徳3/元中3        
1387 嘉慶1/元中4        
1388 嘉慶2/元中5        
1389 康応1/
元中6
    義弘、三田尻で将軍義満を歓待後、随伴して上京、滞在(応永5年まで?) 義満、安芸厳島神社参詣
1390 明徳1/
元中7
      土岐氏の乱
1391 明徳2/
元中8
    義弘、山名氏清の反乱鎮圧に功績、のち紀伊・和泉国守護に任ぜられる 明徳の乱
1392 明徳3/
元中9
    義弘、南北朝合一に尽力 南北朝合一/高麗滅び、李氏朝鮮起る
1393 元中10        
1394 応永1 義持   義弘、義満の上洛催促や北山別荘賦役拒否/持世生まれる 義満、太政大臣になる
1395 応永2      義弘出家/大内氏が朝鮮へ交易船をおくる(以下、〔朝鮮交易〕と略記す) 義満出家/今川貞世召還
1396 応永3     〔朝鮮交易〕義弘、朝鮮に海賊禁止を告げ、披虜人送還、大蔵経を求め一部請来  
1397 応永4     〔朝鮮交易、二回〕/小弐氏らとの戦で大内満広戦死 金閣造営
1398 応永5      〔朝鮮交易〕/朝鮮回礼使朴惇之、都への途上、山口で義弘に会い、禁寇を謝す  
1399 応永6     〔朝鮮交易〕義弘、朝鮮に百済後裔主張し、土地割譲求める/義弘、堺で幕府と戦い敗死(菩提寺香積寺)。弘茂、幕府に降伏、周防・長門国守護に 応永の乱
1400 応永7   盛見 盛見、義弘のあとを継ぎ、幕府に対抗するも、弘茂ら幕府軍に攻められ、九州へ逃れる  
1401 応永8     盛見、弘茂を破る。弘茂敗死 遣明船渡航。義満、明に国交を求める
1402 応永9       義満、倭寇禁止/今川了俊(貞世)「難太平記」
1403 応永10     〔朝鮮交易〕 遣明船渡航
1404 応永11     〔朝鮮交易〕/盛見、国清寺建立 勘合貿易はじまる、遣明船渡航
1405 応永12       遣明船渡航/明、鄭和の第一次南海遠征
1406 応永13       遣明船渡航
1407 応永14     〔朝鮮交易、二回〕盛見、朝鮮に唐本一切経を求める  
1408 応永15     〔朝鮮交易、二回〕大蔵経一部請来 遣明船渡航(二回)/義満死去
1409 応永16     〔朝鮮交易〕/興隆寺に輪蔵を建て一切経をおさめる/盛見上洛(応永32年まで?)  
1410 応永17     〔朝鮮交易〕/盛見、「蔵乗法数」刊行 遣明船渡航
1411 応永18     〔朝鮮交易〕 明と国交一次中断
1412 応永19        
1413 応永20     〔朝鮮交易〕  
1414 応永21     〔朝鮮交易〕  
1415 応永22     〔朝鮮交易〕/盛見、耕雲明魏(花山院)が自書した「畊雲千首」を贈られる  
1416 応永23     〔朝鮮交易〕 上杉禅秀の乱
1417 応永24     〔朝鮮交易〕  
1418 応永25     〔朝鮮交易〕/盛見、宇佐神宮造営着手  
1419 応永26       応永の外寇
1420 応永27       宋希環訪日(老松堂日本行録)
1421 応永28     盛見、将軍に随伴して伊勢参宮/教弘生まれる 明、北京に遷都
1422 応永29        
1423 応永30 義量   盛見、観音一千躰の造仏 朝鮮、大蔵経を幕府に贈る
1424 応永31        
1425 応永32     盛見、都から九州へ。九州探題を放逐した小弐満員を破る  義量死去
1426 応永33     盛見、大般若経理趣分千巻刊行、巻ごとに百銭つけて諸国の貧僧に施与する  
1427 応永34        
1428 正長1       義持死去/正長の土一揆
1429 永享1 義教   盛見上洛、年内に帰国  
1430 永享2     〔朝鮮交易〕盛見、大蔵経求む/持盛、観音寺仏殿建立  
1431 永享3     宇佐神宮造営完成/盛見、少弐・大友氏との戦で戦死。菩提寺国清寺  
1432 永享4   持世 持世と持盛、後継を争う。  日明国交回復、遣明船渡航
1433 永享5     持盛敗死  
1434 永享6       遣明船渡航
1435 永享7        
1436 永享8        
1437 永享9        
1438 永享10       永享の乱
1439 永享11     新続古今和歌集に盛見一首入集、持世三首入集 上杉憲実、足利学校を再興/最後の勅撰集「新続古今和歌集」
1440 永享12     〔朝鮮交易〕大蔵経一部請来/持世上洛 結城合戦
1441 嘉吉1     持世、嘉吉の乱で赤松満祐に襲われ重傷、死去。菩提寺澄清寺 嘉吉の乱、義教殺される/嘉吉の土一揆
1442 嘉吉2 義勝 教弘 香積寺五重塔(現瑠璃光寺五重塔)建立  
1443 嘉吉3 義政   前石見守護山名熙貴(嘉吉の乱で遭難)娘、惣領山名持豊猶子として教弘と婚姻 義勝死去
1444 文安1      〔朝鮮交易〕大蔵経一部請来  
1445 文安2      〔朝鮮交易、二回〕  
1446 文安3     〔朝鮮交易〕大蔵経一部請来/政弘生まれる  
1447 文安4      〔朝鮮交易〕  
1448 文安5        
1449 宝徳1     教弘上洛/大蔵経を興隆寺に寄進  
1450 宝徳2        
1451 宝徳3      〔朝鮮交易〕/遣明船に参加 遣明船渡航
1452 享徳1     〔朝鮮交易〕/教弘、師成親王御筆の「李花集」相伝  
1453 享徳2     〔朝鮮交易〕教弘、琳聖太子「日本入国記」を朝鮮に求める/朝鮮、通信符を教弘におくる(勘合貿易)  
1454 享徳3       享徳の乱
1455 康正1        
1456 康正2     金春禅竹、周防下向。教弘の求めで「五音十体」執筆し贈る   
1457 長禄1         
1458 長禄2      〔朝鮮交易〕  
1459 長禄3     夜中大路の往来・辻相撲・夜中湯田の湯に入ること、壁書で禁ずる  
1460 寛正1     〔朝鮮交易、二回〕 管領の畠山氏で家督争い
1461 寛正2     このころ雪舟が山口に来る  
1462 寛正3      〔朝鮮交易、二回〕  
1463 寛正4        
1464 寛正5     このころ築山館できる  
1465 寛正6   政弘 〔朝鮮交易〕/教弘、陣中で病死。菩提寺闢雲寺/遣明船に参加、雪舟渡明へ 遣明船渡航
1466 文正1      上杉憲実、長門大寧寺で死去  
1467 応仁1     政弘、大軍を率いて上洛、西軍に加わる/大内氏ら西軍、武田基綱を攻め、醍醐寺三宝院を焼く/少弐教頼・宗盛貞、筑前に入り、大内方と戦うが敗死 応仁の乱
1468 応仁2     大内氏ら西軍、骨皮道賢を攻めてこれを斬る  
1469 文明1     豊後守護大友親繁、少弐頼忠ら、大内方を攻め、大宰府に入る  
1470 文明2     教幸叛乱、赤間関にて挙兵/家臣仁保弘有、東軍へ寝返る/東軍を山城勧修寺に攻めてこれを焼く/陶弘護、弘幸を破る。弘幸、吉見信頼をたより石見へ  
1471 文明3     教幸、弘護に敗れ、自害/弘護、大宰府に入り、少弐頼忠を攻める  
1472 文明4        
1473 文明5     〔朝鮮交易〕政弘、朝鮮貿易再開 山名宗全死去/細川勝元死去
1474 文明6  義尚   〔朝鮮交易〕/政弘、一条兼良に「花鳥口伝抄」を所望/能阿弥より「君台観左右帳記」贈られる/鎮西の乱を憂いて帰国せんと幕府に降を請う  
1475 文明7        
1476 文明8     一条兼良、政弘に「伊勢物語愚見抄」贈る/義政、政弘に命じて東西両軍の和平を謀らしめる 遣明船渡航
1477 文明9     〔朝鮮交易〕/政弘、帰国/義興生まれる 応仁の乱終結
1478 文明10     政弘、九州出陣、少弐氏を攻め、豊前筑前両国をしたがえる/秋月弘種、為世筆「古今集」一部十巻を政弘に献上  
1479 文明11     右大臣三条公敦、山口に下向、居をおく/〔朝鮮交易〕大蔵経一部請来  
1480 文明12     連歌師宗祗、山口に来る 一条兼良、「樵談治要」を義尚に贈る
1481 文明13     政弘「金剛般若経」刊行  
1482 文明14     興隆寺、法華経二十八巻開版着手/吉見信頼、遺恨により宴席上で陶弘護を刺殺し、その場で斬られる  
1483 文明15     〔朝鮮交易〕 遣明船渡航
1484 文明16        
1485 文明17     〔朝鮮交易〕大蔵経一部請来/政弘、最初の撰銭令だす 山城の国一揆
1486 文明18     政弘、後土御門天皇より「氷上山」の勅額賜る/故教弘に従三位贈られる 雪舟「山水長巻」描く
1487 長享1     〔朝鮮交易〕大蔵経一部請来 義尚、六角高頼を攻める
1488 長享2     政弘嫡男、将軍義尚より「義興」の二字与えられる 加賀の一向一揆
1489 延徳1     宗祗、山口を訪れる「伊勢物語山口抄」/飛鳥井栄雅より蹴鞠条々贈られる 義尚死去/銀閣上棟
1490 延徳2  義材   〔朝鮮交易〕大蔵経請来/連歌師猪苗代兼載、山口を訪れる 義政死去
1491 延徳3     義興上洛、将軍義材(義稙)の六角氏追討に従軍  
1492 明応1        
1493 明応2     〔朝鮮交易〕/周防真楽軒「聚分韻略」刊行 遣明船渡航/山城の国一揆崩壊/北条早雲、堀越公方遺子追放
1494 明応3  義澄   〔朝鮮交易〕  
1495 明応4   義興 連歌師猪苗代兼載、山口を訪れる/政弘死去、菩提寺法泉寺 宗祗ら「新撰莵玖波集」編む
1496 明応5     宗祗、山口へ下向/豊後守護大友義右、父政親に毒殺される。大内氏、政親を捕らえ、舟木にて自刃させる  
1497 明応6      〔朝鮮交易、二回〕李朝に鷹匠を求める/政弘私家集「拾塵和歌集」成立/小弐政資、大宰府に拠る。義興、これを攻めて肥前晴気城まですすむ。政資自刃  
1498 明応7     右田弘量ら、豊後で大友親治の兵と戦い、敗死 ヴァスコ=ダ=ガマ、インド航路発見
1499 明応8     〔朝鮮交易〕/義興弟尊光、謀反の企みが露見し、大友氏のもとへ逃れる 前将軍義材(義稙)、山口下向
1500 明応9     前将軍義材(義稙)を山口・神光寺に迎える 幕府、最初の撰銭令
1501 文亀1        
1502 文亀2      〔朝鮮交易〕  
1503 文亀3        
1504 永正1        
1505 永正2        
1506 永正3      〔朝鮮交易〕/遣明船に参加 遣明船渡航
1507 永正4     義隆生まれる/三条公敦、山口にて死去/入明正使了庵桂悟山口到着/義興、前将軍義材(義稙)を奉じて上洛  
1508 永正5 義稙   義興、周防・長門・筑前・豊前・石見・安芸の六国および山城国の守護に 義稙、将軍位に
1509 永正6     有職故実を記した大内問答成立  
1510 永正7       三浦の乱/ポルトガル人、ゴア占領
1511 永正8     船岡山の戦い。細川澄元らを撃退する 義澄死去
1512 永正9     義興、従三位に  
1513 永正10        
1514 永正11       山崎宗鑑ら、「犬筑波集」を編む
1515 永正12        
1516 永正13     〔朝鮮交易、二回〕/義興、日明貿易を独占する/連歌師宗碩、山口を訪れる  
1517 永正14       ポルトガル人、広州に至る
1518 永正15     義興、帰国する  
1519 永正16     伊勢神宮を勧請。高嶺に伊勢神宮外宮・翌年内宮建立  
1520 永正17     飛鳥井雅俊、義興に蹴鞠伝授 遣明船出発(大永3年渡航)
1521 大永1 義晴   義興、このころより連年安芸へ出兵し、尼子氏と戦う  
1522 大永2        
1523 大永3     遣明船渡航/安芸国東西条の鏡山城、尼子経久に攻められ落城 義稙死去/寧波の乱
1524 大永4        
1525 大永5        
1526 大永6       今川氏親「今川仮名目録」
1527 大永7     大内氏への御陣御祈祷中、求菩提山にて銅板法華経・銅筥(福岡県国宝)発見される  
1528 享禄1   義隆 義興死去、菩提寺凌雲寺/後柏原天王宸筆の古今集を義隆に下賜  
1529 享禄2        
1530 享禄3        
1531 享禄4        
1532 天文1     少弐氏を討つため九州出兵  
1533 天文2     大森銀山奪回、神谷寿貞が灰吹法による精錬を始める  
1534 天文3     〔朝鮮交易〕五経正義求める/後奈良天皇踐祚費献上/勢場原の戦い  
1535 天文4        
1536 天文5     義隆、太宰大弐に任じられ、昇殿を許される 伊達稙宗「塵芥集」/天文法華の乱
1537 天文6     〔朝鮮交易〕/毛利元就嫡男、人質として山口滞在。義隆より一字授かり隆元名のる  
1538 天文7     〔朝鮮交易、二回〕朝鮮に大蔵経・朱子新註・五経・漏刻器等もとめる  
1539 天文8     大内版「聚分韻略」刊行/遣明船独占 遣明船渡航
1540 天文9        
1541 天文10     安芸国守護武田氏の居城銀山城を攻め落とす  
1542 天文11     義隆、出雲出兵。武運長久を祈願し物部神社に太刀銘了戒(島根県重文)奉納/吉見正頼、山口八坂神社の鷺舞(祇園会)を津和野に(伝承)  
1543 天文12     尼子氏に大敗。撤退中、晴持死去 ポルトガル人、種子島に漂着し鉄砲を伝える
1544 天文13        
1545 天文14     義隆、正三位を授かる  
1546 天文15 義輝   義隆、筥崎宮本殿及び拝殿造営(福岡県・重文)  
1547 天文16     〔朝鮮交易〕/最後の遣明船派遣(大内氏独占)、正使策彦周良/安芸国厳島神社社殿修営の折に木製銅字扁額(広島県重文)奉納 遣明船渡航/武田信玄「甲州法度之次第(信玄家法)」
1548 天文17     義隆、従二位に  
1549 天文18     元就、山口に滞在。義隆に謁する  
1550 天文19     策彦周良帰国。山口滞在/ザビエル山口で義隆に謁見/竜造寺胤信、義隆より一字授かり隆胤のち隆信 義晴死去
1551 天文20     〔朝鮮交易〕/ザビエル、山口で布教/陶隆房(晴賢)謀反。義隆自害(菩提寺龍福寺)  
1552 天文21   義長 大友義鎮の弟晴英、大内義長と名を改め、家督を継ぐ/防長両国大飢饉  
1553 天文22       上杉謙信、武田信玄と川中島に戦う
1554 天文23     陶晴賢・大内義長、吉見正頼を攻める。のち和睦  
1555 弘治1     厳島の戦い:元就、陶晴賢を滅ぼす 毛利元就、陶晴賢を厳島に破る
1556 弘治2     内藤隆世と杉重輔争い、山口の町炎上  
1557 弘治3     義長、長福寺にて自刃/大内氏残党、義隆遺子亀鶴を奉じて挙兵するも討滅する/毛利氏が周防長門を支配下におく  
1558 永禄1        
1559 永禄2     小弐氏ほろぶ  
1560 永禄3       桶狭間の戦い
1561 永禄4        
1562 永禄5       徳川家康、織田信長と同盟
1563 永禄6        
1564 永禄7        
1565 永禄8       義輝、松永久秀に殺される
1566 永禄9     尼子氏ほろぶ  
1567 永禄10        
1568 永禄11 義栄/
義昭
    義栄死去/織田信長、足利義昭を奉じて入京/関所撤廃
1569 永禄12     大友氏の援助をうけ大内輝弘が山口を占拠。のち自害する 信長、ルイス=フロイスの宣教を許す
1570 元亀1       姉川の戦い/石山合戦始まる
1571 元亀2       信長、比叡山を焼討
1572 元亀3        
1573 天正1       室町幕府滅びる(義昭1597死去)

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