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2018/10/24 【ニュース】新たに3人の県指定無形文化財保持者が認定されました

 平成30年9月11日、5年ぶりに山口県指定無形文化財保持者が追加認定されました。認定された保持者は、「萩焼」では山口市宮野の大和祐二(やまとゆうじ)さん(71歳)、長門市深川湯本の新庄貞嗣(しんじょうさだつぐ)さん(67歳)、さらに「赤間硯」では宇部市西万倉の日枝敏夫(ひえだとしお)さん(雅号:玉峯(ぎょくほう)71歳)の3名です。

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 「萩焼」は昭和47年に県指定無形文化財に指定され、すでに大和保男さん(S63認定)、野坂康起さん(H14認定)、波多野善蔵さん(H14認定)、岡田裕さん(H18認定)、坂倉正治さん(H25認定)の5名の保持者がいます。また、「赤間硯」は平成14年に県指定無形文化財に指定され、堀尾信夫さん(H14認定)が保持者に認定されています。
 3名の方の横顔を紹介します。大和さんは、山口萩焼の礎を築いた大和作太郎のひ孫です。作品の特徴は、熟練のろくろさばきからなる鋭敏なアウトラインを示す器の立ち上げや、萩焼の伝統的な素材の取扱いと釉薬(ゆうやく)のかかり具合があらわすほのかな明るさで魅せる抑制的な装飾で、これらがとても高い評価を受けています。大和さんの作品は、全体的に大きな大皿や大鉢、陶筥(とうばこ)等、独自の造形美を展開しています。
 新庄さんは、江戸時代に萩から移住した赤川助右衛門の家系で、自身で14代となります。新庄さんは、深川焼の伝統性を呼び覚ますような茶の湯の道具制作を研究し、簡潔な輪(りん)なりという茶碗を制作し、茶人のみならず陶芸愛好家や研究者からも高い評価を受けています。現在、日本工芸会山口支部の幹事長並びに日本工芸会の理事に就任しています。
 日枝敏夫さんは、父親から3代目玉峯の名を受け継ぎ、県内で唯一、採石、加工、研磨、仕上げなど、すべての工程を一人で行っています。硯は、高くなっている部分を陸、低くなって墨が溜まる部分を海と呼びますが、日枝さんの作品の特徴は、陸と海を必ず必要とする古典的な硯の中にあっても、重厚でありながらシャープな稜線を巧みに取り込んだ作品となっています。基本を踏まえつつ柔軟な発想がひかり、陸と海が創り出す新しい硯の造形世界を切り拓いたものとして高い評価を受けています。
 以上が、教育委員会会議や文化財保護審議会で紹介している内容ですが、お三方が保持者として認定にされるまでの数か月間、調査のため専門家と一緒に工房や採石場所等を訪問させていただいた私自身が感じたことを裏話として書かせていただきます。
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 大和祐二さんは大学を卒業後、お父様の誠さん(二代大和吉孝)の下で、お兄様の勝さん(三代吉孝)と一緒に下積みをされました。今年で作陶生活50年の節目の年を迎えます。お父様がお亡くなりになった後、お兄様と二人三脚で大和吉孝松緑窯を守ってこられましたが、8年前、お兄様も他界、その後は、たったお一人で作陶を続けてこられました。取材中、「兄は井戸茶碗しか作らなかった。何日もろくろを回し続け、何百も作品を窯で焼いては、『気に入らない』と言いながらほとんど割ってしまうような、そんなこだわりを持った人だった。」とお兄様を振り返っておられました。また、「自分の作品の特徴は大きな皿や鉢であり、萩焼の伝統的な素地土にこだわり、萩焼らしい作品を作っている。」と自身をこのように評価されますが、話の最後に「本当にやってみたいのは、兄が目指した井戸茶碗である。井戸茶碗は本当に奥が深い。奥が深いからこそのめり込みそうだ。」と目を細めておられたのが印象的でした。お兄様の後姿を追い続け、無形文化財の保持者となられた今、もしかするとお兄様より技術が上達しているかも知れないのに、今でも亡くなられたお兄様とライバル同士として腕を競い合っている、そんな兄弟愛を感じずにはいられず、目頭が熱くなりました。
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 新庄貞嗣さんは、東京芸術大学大学院彫刻専攻を修了、京都市工業試験場で研修した後に、長門市に帰ってこられ今年で40年になります。作陶を始めた当初は、彫刻的な視点に立った陶筥や独自に創作した盒(ごう)という大型の作品を制作していました。「陶筥や盒はまずは大きな粘土の塊をつくり、それをくり抜いてつくる。作品一つ作るにしても莫大な時間と労力が必要だ。人がやらないことは割に合わないからこれまでも誰もやっていないということがよく分かった。」と豪快に笑っておられました。新庄さんは早くにお父様を亡くされ、その後は御自身で試行錯誤を重ねながら作陶生活を続けてこられました。とりわけ、何十年もかけて、釉薬や焼成温度の研究に取り組んでおられ、調査当日も、釉薬の材料である長石、木灰(もくばい)、藁灰(わらばい)の調合方法を変化させるとどのような色が出てくるかを、約50通りもの模型(三角ダイヤグラム)を用いて私たちに説明してくれました。また、子どもの頃の想い出として、お父様が食事に行くとき窯焚きの番を言いつけられたが、お父様の指示なしにうっかり薪をくべて温度を上げてしまい、こっぴどく怒られたことを懐かしそうに話してくれました。そのような失敗から学んだ教訓や長年の研究成果があるからこそ、作品を手に取って愛おしそうに眺める新庄さんの姿からは、萩焼に対する無限の可能性を追求し続ける陶芸家としての誇りと自信を感じることができました。
 最後に、日枝敏夫さんです。日枝さんは高校を卒業後、20歳のときに、「石を見分けられなければいい職人にはなれない。」というお父様の教えで、採石場につれていかれ、一緒に石を採ることを覚えさせられたそうです。しかし、6年後、これからという時に、お父様が急逝、硯の加工、研磨、仕上げ等を全く教わることなく、一人現実の世界に放り出されました。一時は廃業も考え、お父様の仏壇の前で座り込んでいたとのことです。しかし、「何のためにこれまでやってきたのか。自分がやらねば赤間硯が途絶える。」との使命感から、先輩の作業を盗み見しながら試行錯誤を重ね、自身の技芸を磨いてこられました。採石場までの急傾斜のわだちに、軽トラックのハンドルを取られながら、ジェットコースターに乗った気分でおよそ20分間体を車内のあちこちにぶつけながら、坑道へ向かいます。坑道は原石である赤色頁岩の風化を防ぐため常に地下水で満たされており、ポンプを使っての水抜きも大変手間のかかる作業です。暗い坑道の中へカーバイトランタンを片手に一人で入って行き、そこで機械やノミを使って行う掘削は本当に重労働であり、これまで50年、赤間硯制作一筋に懸けてこられた職人としての気質を感じずにはいられません。「『最近は年だから一人で山へ行ってはいけない』と家内からきつく言われている。」とのことで、後継者である息子、陽一さんと二人三脚で採石をはじめとする硯制作を行っています。ただ、「親子でやっているとどうしてもお互いがお互いを頼ってしまうからいけない。でも、そうは言ってもまだまだ採石は息子には任せられない。」と笑みを浮かべておられました。このような親子の甘えに対する戒めや職人としての厳しい言葉の中には、800年以上もの長きに渡って受け継がれた赤間硯制作の技術のバトンを、弟子の陽一さんに完璧な形で引き継ぎたいと願う強い思いと、家族に対する優しい愛情を感じることができました。
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 これらのことから分かるように、保持者に認定される技量は、一朝一夕に成し得ることができるものではなく、まさに血の出るような努力や試行錯誤を何十年も積み重ねられてこられた結果のたまものです。その経験から独自に編み出された技術が万人に評価され、保持者に認定されたのだと思います。

 そして、何よりも取材をとおして忘れることができないのは、3人の保持者の横には、常に微笑みながら寄り添う奥様がいらっしゃったということです。よく「夫婦愛」とか「内助の功」とか言いますが、語らずとも分かり合える夫婦2人の関係は、軽々しく口にするのが失礼なくらい言葉を超越した本当に素晴らしい信頼関係です。このたびの保持者認定を一番に知らせて喜びを分かち合いたかった方が奥様であり、その保持者認定を一番に喜んでくれたのが奥様であると確信しました。本当に素敵な3組の御夫婦と出会うことができ、そして何より県指定無形文化財保持者の認定に立ち会えたことは、私にとって大変貴重な経験であり、大きな喜びでもありました。生涯忘れることができない一生の宝物をもらった気持ちです。(S)



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