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文化財要録コンテンツ

名称関連文化財名称金銅毘盧舎那仏坐像(寺伝大日如来像)
要録名称金銅毘盧舎那仏坐像(寺伝大日如来像) 
指定関連指定区分・種類有形文化財(彫刻)
指定年月日平成1年3月28日
所在地関連所在地県立山口美術館寄託
所有者関連所有者宗教法人 国分寺


文化財詳細
制作等の年代又は時代
13世紀後期頃(高麗時代)

品質及び形状

【形状、品質、構造】

 肉髻をわずかに盛りあげ、切子形の螺髪を後頭部まで丁寧に鋳出する。肉髻珠(木製)・白毫相(銅製)をあらわす。耳朶は貫通しない。三道を盛りあげる。両手は臂をまげて胸前にあげ、左手の第2指をたて、それを右手でにぎる、いわゆる智拳印を結ぶ。衲衣を通肩に着し、胸部を大きく広げ、腹上に裾の上端とくくり紐の結び目をあらわす。衲衣の襟を高く、衣褶はするどくたたむが、膝前の衣褶は簡単なタガネ彫りであらわす。裳先はやや前方に流れる。右足を上にし、足裏を見せて結跏趺座するが、左足先は着衣の内に入れる。

 頭・体部を通して銅の惣型による一鋳から成る。頭部・頸部・左右の肩から臂にかけての体内に灰色の中型の土がのこる。目鼻立・衣褶などをタガネで整形し、全体に鍍金を施したものと思われ、顔面・背面の下方・衣褶などに鍍金のあとがのこる。

 前面両膝の下方、背面の襟下・裾(膝の両側面)などに鋳くずれによる小穴がある。右足首から左膝地付部にかけて大きい亀裂がある。地付部も鋳くずれが多い。

背面の中央下方に縦10.8cm、横5.6cmの長方形の木片をはめ込んでいる。右膝下および背面地付部近く3か所に鉄釘がのこる。当初底板が張られていたものと思われ、あるいは胎内納入品が奉籠されていた可能性もある。



寸法又は法量

像高51.6cm 髪際下46.7

頂上~顎16.1 面長10.8

面幅 10.0 耳張り 12.6

面奥 13.8 肩張り 21.1

胸厚 14.5 腹厚 19.6

臂張り 29.3 膝張り37.6

膝高 8.5 膝奥28.0

裳先奥 29.1 像底部の厚さ 0.6~0.2



参考情報関連
参考情報

(1)毘盧舎那仏とは…

 略して盧舎那仏ともいう。盧舎那仏とは光明遍照を意味し、盧舎那仏は万物を照らす宇宙的存在としての仏陀の名であり、華厳経の教主である。

(2)伝来

 応永24年(1417)4月、国分寺堂塔伽藍焼亡以来再建されなかった五重塔に安置されていたとの伝承があるが、史料的には正徳4年(1714)12月の「防州国分寺記録」の「一、金堂 薬師如来 日光菩薩 月光菩薩 十二神将 四天王 大日如来 阿シュク如来 宝勝如来 阿弥陀如来 釈迦如来」という記事より溯ることができない。

 今日は、金堂須弥壇の裏側に五智如来の一つとして、阿弥陀・阿シュク・薬師・宝生の各如来(いずれも木造の坐像で江戸時代の製作)と並んでその中央に安置される。

 国分寺は中世以来、奈良西大寺の末で真言律宗であったが、明治からは高野山別格本山となり真言宗であり、本件は大日如来としてあつかわれて来ている。




地図



画像
<金銅毘盧舎那仏坐像(寺伝大日如来像)>関連画像001(オリジナル画像表示リンク)<金銅毘盧舎那仏坐像(寺伝大日如来像)>関連画像002(オリジナル画像表示リンク)<金銅毘盧舎那仏坐像(寺伝大日如来像)>関連画像003(オリジナル画像表示リンク)<金銅毘盧舎那仏坐像(寺伝大日如来像)>関連画像004(オリジナル画像表示リンク)

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