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文化財要録コンテンツ

名称関連文化財名称絹本着色尼子晴久像
要録名称絹本着色尼子晴久像 
指定関連指定区分・種類絵画
指定年月日昭和49年11月8日 (山口県教育委員会告示 第5号)
所在地関連所在地山口市春日町8-2 山口県立山口博物館
所有者関連所有者山口県


文化財詳細
制作等の年代又は時代
室町時代末期

員数
一幅

品質及び形状
絹本着色、掛幅装

寸法又は法量
縦76.5cm、横40.5cm、総縦156cm、総横52.5cm

参考情報関連
参考情報

 尼子晴久(1514~1560)は、永正11年政久の子として生まれた。経久の孫である。初め詮久、後に民部少輔。

 天文10年(1541)経久の死後、家督を継いだが、実際には天文6年以来、老年の経久にかわり治世にあたり、諸方を攻略していた。

 天文11年、富田城に迫った大内・毛利の連合軍を破り大いに武威を輝かせた。天文21年(1522)修理大夫に任ぜられ、出雲、隠岐、伯耆、因幡、美作、備前、備中、備後の8か国の守護となった。

 没年については、永禄3年、同4年、同5年の3説があるが、永禄3年説をとるものが多い。天威心勢大居士と諡す。

 尼子経久、晴久の画像の所有者末岡みつ子氏は、尼子宗家が改姓した佐々木家の出身である。




地図



画像
<絹本着色尼子晴久像>関連画像001(オリジナル画像表示リンク)<絹本着色尼子晴久像>関連画像002(オリジナル画像表示リンク)

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