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文化財の概要

文化財名称

野村望東尼終焉の宅跡及び墓

文化財名称(よみがな)

のむらもとにしゅうえんのたくあとおよびはか

市町

防府市

指定


区分

記念物

時代

江戸時代

一般向け説明

 野村望東尼(「もとに」または「ぼうとうに」、1806~1867)は幕末の勤王の女流歌人。家集に「向陵集(こうりょうしゅう)」がある。54歳で夫と死別した後、仏門に入って尼となった。1864年(元治元)には、長州藩を脱した高杉晋作を厚遇している。その後、福岡藩内の勤王派粛正により姫島(現福岡県糸島市)に流されたが、1866年(慶応2)高杉の部下らによって下関に救出された。下関で高杉の死を看取った後は、山口の小田村伊之助(後の楫取素彦)のもとに身を寄せた。1867年(慶応3)、討幕軍の東進を耳にして防府に赴き、防府天満宮に参籠してその成功を祈った。そのために体を害し、三田尻中塚町(現防府市)の寓居で病死した。行年62歳。
 墓は桑山の山腹にある。

小学生向け説明

 野村望東尼(1806~1867)は、幕末に活動した女性です。54歳で夫と死別し尼となっています。高杉晋作たちと親しく交わり、1867年(慶応3)に薩摩と長州が幕府と戦ったときには、防府天満宮にこもって成功を祈りました。そのため健康を害して、防府で亡くなりました。
 墓は桑山の山腹にあります。

文化財要録

要録名称

野村望東尼終焉の宅跡及び墓

指定区分・種類

史跡

指定年月日

昭和41年6月10日
平成26年12月2日 一部指定解除

所有者

管理者

防府市(昭和42年1月17日指定)

参考情報

墓碑銘
表 「正五位野村望東尼之墓」
裏 明治26年8月揖取素彦の撰文が16行にわたり刻される。 

(平成26年12月2日 一部指定解除)

画像

野村望東尼終焉の宅跡及び墓 関連画像001

野村望東尼終焉の宅跡及び墓 関連画像002

野村望東尼終焉の宅跡及び墓 関連画像003

野村望東尼終焉の宅跡及び墓 関連画像004

野村望東尼終焉の宅跡及び墓 関連画像005