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文化財の概要

文化財名称

大寧寺境内

文化財名称(よみがな)

たいねいじけいだい

市町

長門市

指定


区分

記念物

時代

室町時代

一般向け説明

  現在の長門市深川地域は、毛利氏が萩を城下町とする17世紀初期まで北浦一帯の政治・文化の中心として栄えた地であった。長門市深川湯本温泉の西にある大寧寺は、山口県内では最初の曹洞宗の寺で、永享年間(1429~1441年)の創建といわれる。陶晴賢の反乱により山口を逃れた大内義隆が1551年(天文20)大寧寺で自刃し、寺も陶晴賢の兵火にかかって全焼したが、そののち再建された。江戸時代には毛利氏の保護のもとに栄え、中国・北九州各地に51の末寺(本寺に付属する寺)をもった。
 境内地前の大寧寺川には盤石橋と呼ばれる石橋がかかる。防長3代奇橋のひとつとも言われ、山口県特有の刎橋形式をもつ。橋桁部分には18世紀半ばに再建されたことを示す銘が刻まれている。
 境内の墓地には、県の史跡に指定されている大内義隆主従の墓所とともに、毛利氏重臣の分骨墓約250基もあり、中世以降の北浦文化の面影を伝える遺跡として価値がある。

小学生向け説明

  大寧寺は、長門市深川湯本温泉のちかくにある寺です。
 室町時代の永享年間(1429~1441年)に山口県内で初めて建てられた曹洞宗(そうとうしゅう)の寺です。
 大内義隆(おおうちよしたか)が1551年(天文20)にここで自ら命を絶ちました。そのとき、この寺も火をつけられて全焼したので、のちに再び建てられました。
 境内の墓地には、大内義隆父子とその家臣の墓とともに、毛利氏の主だった家来の墓約250基があります。

文化財要録

要録名称

大寧寺境内

指定区分・種類

史跡

指定年月日

昭和54年2月6日(山口県教育委員会告示第1号)

所在地

長門市深川湯本字門前1072番地の1、同1072番地の2、同1072番地の3、同1073番地、同1074番地の1、同1074番地の2、同1074番地の3、同1074番地の4、同1074番地の5、同1074番地の6、同1075番地の1、同1075番地の2、同1075番地の3、同字大寧寺205番地の16

所有者

宗教法人 大寧寺

地図

画像

大寧寺境内 関連画像001

大寧寺境内 関連画像002