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文化財の概要

文化財名称

鰐口

文化財名称(よみがな)

わにぐち

市町

下関市

指定


区分

有形文化財

時代

室町時代

一般向け説明

  鼓面の径34.3㎝で、やや大型の鋳銅製の鰐口。表裏ともに太い線と細い線の平行線(子持筋)で、撞座(つきざ)・中・銘の3区に分けられている。撞座には蓮の花弁をかたどった文様や蓮の実を配置した意匠が浮き出たように表されている。
  中区や銘帯に刻み込まれた文字から、この鰐口は、室町時代の1532年(天文1)、筑前国(現在の福岡県)芦屋の鋳物師大江宣秀によって造られ、美栄神社(当時の妙見社:江戸時代後期に改称)に奉納されたものであることがわかる。

小学生向け説明

  鼓面の直径34㎝の、銅で造られたやや大きめの鰐口です。
 室町時代の1532年、筑前国(今の福岡県)芦屋の鋳物師(溶かした金属を型に流し込んで物を造る人)大江宣秀によって造られ、美栄神社(当時の妙見社:江戸時代終わりごろに名を改めた)に奉納されたものです。

文化財要録

要録名称

鰐口 
天文元年壬辰十一月二十八日
葦屋津大工大江宣秀の銘がある。 

指定区分・種類

有形文化財(工芸品)

指定年月日

平成1年10月24日

所在地

下関市長府川端1丁目2番5号
(下関市立長府博物館)

所有者

宗教法人 美栄神社

制作等の年代又は時代

天文元年(1532)

製作者

筑前国芦屋鋳物師大江宣秀

由来及び沿革

 美栄神社は創建不詳。出雲大社より勧請したと伝えられ、古くは妙見社と称した。現社名に改まったのは、享和3年(1803)のことである。
 『防長寺社由来』清末領楢崎村妙見宮の項(延享4年<1747>書上げ)に「鰐口 天文九 大工葦屋津 宣秀」の記事がある。
 なお、同社には応永年間の奥書(「奉施入長州貴飯山妙見之下宮」「応永三十二年(1425)乙巳霜月廿日大願主安養坊沙門□軒法眼宗全」など)をもつ大般若経が伝わる。

品質及び形状

(品質・形状)
 鋳銅製、通形の鰐口である。
 鼓面は表裏ともに子持筋で撞座区・中区・銘帯の3区に分ける。撞座区中央に八葉蓮華文(蓮弁は二重の単弁で、花弁と花弁の間は間弁が配される)の撞座(陽鋳)を設け、その中房には、中央に1個、周囲に5個、計6個の二重丸形の蓮子があしらわれる。銘帯及び中区に別記のような銘文が陰刻される。
 耳は片面交互式で耳状。目は外縁に覆輪状の盛り上りを見せ、その切り口は楕円形をなす。左右の目の中心を結ぶ線は撞座の中心より下を通る。唇は出及び幅とも小さい。
 肩と胴の中央に表裏を合わせる継目が明瞭で、さらに肩の中央には湯口の痕が認められる。
 なお現状では、裏面肩下の銘帯部分に極小の穴が認められるほか、左右の目から撞座に向って亀裂様の線が走る。
(寸法)
 単位=cm
総径(肩~唇) 35.7 面径 34.3
面厚 12.3 撞座径 6.1~6.2
肩幅 6.7 耳幅(左) 7.9
耳幅(右) 7.8 耳高(左) 3.9
耳高(右) 3.4 耳穴径(左右とも) 1.9
耳厚(最大、左右とも) 1.1 耳の出(左) 1.8
耳の出(右) 2.0 目径(長軸長) 左6.8 右6.8
目径(短軸長) 左5.0 右5.3 目の出 左1.8 右2.0
唇出 0.6
口開 1.1 唇幅 0.5  

銘文

(1)表
 〇銘帯
 「欽奉懸鰐口一基長門国豊東郡崗枝郷貴飯山北辰」
 「十方檀那以扶助成就者也天長地久御願圓満如意吉祥」
 〇中区
 「妙見大菩薩御寳前」
 「勧進沙門宋英俊智敬白」
(2)裏
 〇銘帯
 「 天文元年壬辰」
 「十一月二十八日」
 「葦屋津大工大江宣秀」
 〇中区
 「代三貫伍百文也」
 [注]表の中区「…敬白」の下に「英」の墨書が認められる。

参考情報

 大江宣秀の作例(現存)
①松梅図真形釜(鋳鉄製) 永正14年(1517)
 「芦屋本金屋大工宣秀}東京根津美術館(高野山宝幢院寄進)
②梵鐘(鋳銅製) 享禄3年(1532)
 「葦屋金屋大工大江宣秀」山口市興隆寺
③鰐口(鋳銅製) 天文3年(1534)
 「葦屋金屋大工大江朝臣宣秀」山口市今八幡宮
④香炉(鋳鉄製) 天文3年(1534)
 「大工葦屋大江宣秀」大阪府個人蔵(伊勢山田十一面寄進)

※山口県下の佚亡例
・山口市興隆寺蔵(『防長風土注進案』所載)
  鰐口 天文2年(1533)「葦屋本金屋大工大江宣秀」

地図

画像

鰐口 関連画像001