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文化財の概要

文化財名称

金梨子地菊桐紋散雲蒔絵鞍・鎧

文化財名称(よみがな)

きんなしじきくきりもんちらしくもまきえくら・あぶみ

市町

周南市

指定


区分

有形文化財

時代

室町時代

一般向け説明

 毛利輝元が豊臣秀吉から拝領し、さらに萩藩初代藩主毛利秀就の実弟毛利就隆(徳山藩初代藩主)に授けられたと伝えられる鞍と鐙。
 鞍は前輪の高さ27.0㎝、後輪の高さ39.3㎝、居木の長さ37.5㎝で、金梨子地(金色の梨の肌のように見える)にたなびく雲や菊・桐の紋を散らした蒔絵を描き、要所に金銀の切り金をちりばめた美しいものである。鐙は鉄を鍛えて造ったものに漆を塗り、鞍と同様な蒔絵が描かれている。鞍と鐙のそれぞれに黒漆塗りの箱が付いており、秀吉から拝領したものであることが朱漆で記されている。
 華麗であるが室町時代の特徴が見られ、製作年代は16世紀と考えられている。鐙に添えられている1784年(天明4)の覚書に、就隆が初めて鉄砲を使った時、鶴を射止めたので、輝元が大変喜んで授けたということが書かれている。

小学生向け説明

 毛利輝元(もうりてるもと)が、豊臣秀吉から贈られたものを、萩藩初代藩主毛利秀就(もうりひでなり)の実弟就隆(徳山藩初代藩主)に授けたと伝えられる鞍と鐙です。
 鞍と鐙のそれぞれに付いている箱に、秀吉から贈られたものであることが記されています。
 作られた年代は16世紀と考えられていますが、鐙に添えられている覚書(おぼえがき)に、「就隆が初めて鉄砲を使った時、鶴を射止めたので、輝元が大変喜んでさずけた。」ということが書かれています。

文化財要録

要録名称

金梨子地菊桐紋散雲蒔絵鞍・鎧 

指定区分・種類

有形文化財(工芸品)

指定年月日

平成2年3月30日

所在地

周南市大字徳山5854番地の41
(周南市文化会館寄託)

所有者

製作者

16世紀

由来及び沿革

 鎧に次のような天明4年(1784)の覚書が添えられている。
「覚
一、御鎧 一足
 但作形梨地菊桐之蒔絵有之
         〔  〕
 一、此御鎧従 太閤
   輝元公御拝領也
   就隆公初而鉄炮被遊候時鶴を御
   打被成候付而
   輝元公御悦被成其時右之御鎧
   被進之候
右寛文十弐年二月十三日中嶋市左衛門
持参伊勢因幡江見せ候得者伊勢弟子
打之由蒔絵摺落シ作塗ニ仕候得者三枚
五両之札物ニ者可成由申候
   右之通御蔵本ニ有之候寛文年中
   改之御道具廿ニ記シ有之候ニ付今度
   書抜候而右之御鎧江被添置候事
        天明四年辰七月 」   

品質及び形状

(品質・形状)
[鞍橋]
 沢栗製と思われる手形付き2枚居木の海無鞍である。前輪・後輪とも表裏金梨子地に棚引雲、菊・桐紋散しの高蒔絵を施し、要所に金銀切金を施している。州浜・縁は金沃懸地塗りとしている。
 居木は2枚で、居木表・居木先には金梨子地に雲、菊・桐紋を高蒔絵し、居木裏は前後寄りに麻布を張って漆塗りを施している。
 前輪・後輪の左切組部、居木裏の力韋通し孔の切組部の計3ケ所に墨書の花押が認められる。
[鎧]
 鉄鍛造、踏込の幅広く、正面は鳩胸の鎬高く、左右に笑を設け、舌の内側は朱漆塗りとしている。全体表面は錆下地に金梨子地塗りに棚引雲、菊・桐紋散し高蒔絵を施し、雲には金銀切金を、菊花芯にも同様の切金を施している。紋板にはショウ紋を透し、下端には保呂付けの孔1個を穿っている。紋板の上方先端には刺金付きの鉸具金具を付している。
 鞍、鎧には各々黒漆塗覆蓋造りの内箱と黒漆塗桟蓋造りの外箱が付属し、それぞれに「秀吉公ヨリ御拝領御鞍」「秀吉公ヨリ御拝領御鎧」の朱漆銘がある。 

寸法又は法量

(単位cm)
[鞍]
 前輪高 27 同馬挾 33
 後輪高 39.3 同馬挾 39.3
 居木総長 37.5 乗間長 30.4
 居木幅 8.7
[鎧]
 総高 27.7 総幅 13.5
 紋板長 12.3 舌幅 12

地図

画像

金梨子地菊桐紋散雲蒔絵鞍・鎧 関連画像001

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