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文化財の概要

文化財名称

赤妻古墳出土の舟形石棺

文化財名称(よみがな)

あかづまこふんしゅつどのふながたせっかん

市町

山口市

指定


区分

有形文化財

時代

古墳時代

一般向け説明

 山口市赤妻にある赤妻古墳は、山口盆地の南半分が一望出来る位置にある古墳で、古墳時代中期(5世紀前半)に築かれたものと考えられている。
本石棺は1908年(明治41)に発見されたもので、くり抜き式の舟形石棺でふたと身(ミ)からなる県内唯一のものである。ふたの全長は231㎝で、最大幅98㎝、高さ30㎝。
ふたの側面に4ケ所、身の足側に1ケ所の縄かけ突起を持っている。石材は砂岩である。
この石棺の副葬品には、鏡3・鉄剣2・鉄刀子1・鉄針20・くし26・勾玉12(めのう製)などがある。
 この古墳は、山口盆地における畿内形の最古の古墳であることから、この地域への大和政権の政治支配の様子と山口盆地の首長(かしら)墓の系統をたどる上で、本遺物は重要な資料である。

小学生向け説明

 山口市赤妻の山口の町がよく見渡せる丘にある赤妻古墳は、古墳時代中期(5世紀前半)に築かれたものと考えられています。
 石棺は1908年(明治41)に発見されたもので、くり抜き式の舟形石棺でふたと身(ミ)からなる県内唯一のものです。ふたの全長は231㎝、最大幅98㎝、高さ30㎝で、ふたの側面に4ケ所、身の足側に1ケ所の縄かけ突起があります。石棺の副葬品には、鏡3・鉄剣2・鉄刀子1・鉄針20・くし26・勾玉12(めのう製)などがあります。

文化財要録

要録名称

赤妻古墳出土の舟形石棺 

指定区分・種類

有形文化財(考古資料)

指定年月日

平成5年5月14日

所在地

山口県山口市春日町8番2号
(山口県立山口博物館)

所有者

山口県

制作等の年代又は時代

古墳時代中期(5世紀前半頃)

製作者

不明

由来及び沿革

 赤妻古墳は、山口盆地の北縁に位置し(山口市赤妻町所在)、標高約20mの舌状丘陵先端部に立地している。
 その所在は江戸末期にはすでに知られていたようで、天保6年(1835)の絵図に「小丸山」として図示されている(第3図)。さらに明治10年(1877)の絵図にもその位置が円形で示されている(第4図)。当時は、「吉光長者のすくも塚」などと称されていた。
 明治30年(1897)3月と4月、墳丘の頂部から箱式石棺各1基が相次いで発掘され、神獣鏡1面・巴形銅器2個のほか、甲冑・鉄鏃・鉄刀・鉄鉾・鉄斧・有孔貝製品などが出土したと伝えられている(第6図・第8図)。
 さらに明治41年(1908)8月、同じ墳頂部から本資料である舟形石棺が発掘された。棺内には、頭位を東に向けた人骨とともに、位至三公鏡1面・ホウ製内行花文鏡1面・捩文鏡1面のほか、硬玉製勾玉・瑪瑙製勾玉・瑪瑙製丸玉・ガラス製小玉・ガラス製切子玉・碧玉製管玉・鉄製針・櫛などが出土したと記録されている(第5図・第7図)。墳丘はその後削平を受けてほとんど消滅した。
 これら3基の石棺から出土した遺物の多くは散逸したが、銅鏡ほか一部は東京国立博物館と山口県立山口博物館に収蔵されている。
 昭和62年(1987)、63年(1988)に山口市教育委員会によって部分的な発掘調査が実施され、幅10.1m、深さ75cmの周濠の残存が明らかになり(第9図)、円筒埴輪片が検出されている(第10図)。古記録やこの調査結果によって、築造時の墳丘規模は直径約30~40m前後、高さ7m前後と推定され、県内では最大級の古墳であったことが判明した。

品質及び形状

(別添第11図参照)
 刳抜式の舟形石棺で、蓋と身からなる。蓋の側面に4箇所、身の足側端面に1箇所の縄掛突起をもつ。蓋は破損しており、一部を欠く。身の頭側端面には、縄掛突起を造りかけた痕跡が認められる。棺内には朱の痕跡をとどめている。石材は砂岩。蓋の全長231cm、内法長198cm、最大幅98cm、高さ30cm、身の全長230cm、内法長196cm、最大幅77cm、高さ30cm。

地図

画像

赤妻古墳出土の舟形石棺 関連画像001

赤妻古墳出土の舟形石棺 関連画像002

赤妻古墳出土の舟形石棺 関連画像003

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