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文化財の概要

文化財名称

大般若経

文化財名称(よみがな)

だいはんにゃきょう

市町

岩国市

指定


区分

有形文化財

時代

平安時代

一般向け説明

 「大般若経」600帖が唐櫃3合に納められている。第82巻の奥書には「校了 養和元年(1182)8月8日 僧・道重」と書写の年月日が明記されており、書写年代が平安時代末まで遡ることがわかる県下最古の大般若経の遺例である。僧・道重については詳細は不明である。書風は多様であるが、僧・道重を中心とした平安時代末の1182年と鎌倉時代初期の1198年の書写本に大別される。
 寺伝によれば、もと美和町内の浄土真宗・真教寺に伝わっていたものが、禅宗・盛久寺を経て、栄福寺の古跡と伝えられる中村地区の観音堂に安置されている。
 毎年旧暦の7月1日、「ねんぶつ」と呼ぶ行事で地区住民により要所読みで供養されている。これが虫干しの効果を兼ねていることもあり、保存状態は良い。

小学生向け説明

 「大般若経」600帖が唐櫃3合に納められています。このうち第82巻の奥書には「校了 養和元年(1182)8月8日 僧・道重」と書写の年月日が明記されています。書写年代が平安時代末までさかのぼる県下最古の大般若経の遺例です。道重については詳しいことはわかりません。書風は多様であるが、僧・道重を中心とした平安時代末の1182年と鎌倉時代初期の1198年の書写本に大別されます。
 毎年、古い暦の7月1日、「ねんぶつ」と呼ぶ行事で地区住民による、まわし読みでおがまれています。これが虫干しの効果をかねていることもあり、保存は良好です。

文化財要録

要録名称

大般若経 
 巻第八十二 養和元年八月八日朱筆校合奥書
 付 唐櫃 

指定区分・種類

有形文化財(典籍)

指定年月日

平成7年1月13日

所有者

制作等の年代又は時代

平安時代末

製作者

不明

由来及び沿革

 書写の経緯等は詳らかでない。室町時代には、応永26年(1419)と、永禄8年(1565)の2度、修復が行われている。
 本経が、生見地区に伝来した時期は、明かでない。仮に、永禄8年の補写にあたった「周聡」が、生見村神宮寺の歴住中の「草立周聡禅師」であるとすれば、この時期に、すでに生見地区に所在していた可能性が強い。
 また、巻大六百末尾の修理記事並びに、「防長風土注進案」生見村盛久寺の項によれば、同村真教寺に伝世していたものを、慶安年中(1648~52)に、地下医師中村玄室が、施主頭となって修復し、栄福寺に納めたことが知れる。この後、宝暦12年(1762)、文化3年(1806)に、修理が行われている。
 宝暦の修理では、修理記事の筆者である中村玄貞、同玄仙を中心に、生見村内の6寺院の僧侶6名、村役人等有志20名余の協力のもと、中村一族の開基と伝える同村中村の善秀寺において、各々分担して、裏打や補写に取り組んでいる。参加形態からみて、生見村をあげての事業であったと、推定される。
 文化3年には、前回修理にあたった中村玄仙が、一人で修復、補写を行った旨、玄仙自身の奥書に記されている。
 宝暦・文化両修理の中心人物は、いずれも中村姓であり、本経本と小村中村を名字の地とする歴代中村氏との関係も、看過できない(中村氏の由来については、「生見村中村玄貞由来」寛保元年・地下上申所収、がある)。
 なお、この後、天保頃には、同村盛久寺の寺宝となっていたことが、知られる(「防長風土注進案」生見村盛久寺の頃)。
 以後の伝来経緯は明らかでないが、同村中村にある栄福寺の古跡と見られる観音堂に納められ、現在に至っている。
 栄福寺の由来・沿革については、不明である。巻第六百にある、宝暦12年(1762)の修理記事では、本経を、「栄福寺大般若経」としているが、寛保元年(1741)時点で、岩国禅宗永興寺本寺のひとつ栄福寺は、「従往古之古跡」と記されている(「寺社由来」盛久寺の頃)。また、寛永2年(1749)時点で、「同(禅)宗栄福寺古跡観音 中村ニ有之」(「地下上申」)と記されている。

品質及び形状

(形状、形式、寸法)
 素紙経。折本装。全600帖の全員が伝わる。10帖毎に1帙に納め、さらに20帙を、一まとまりとして、唐櫃3合に収納する。
 各帖の形状は、表と裏に表紙を備え、表表紙に「大般若波羅蜜多経」の経名および巻次と、整理のための千字文を記した外題箋を貼る。
 帙は、全体に渋引きを施す。表には、例えば、「初百内一之帙 天」等のように、100帖毎における帙番号と千字文が記される。
 装幀は、巻子装を折本装に改装したものである。改装時期については、断定し得ない。改装の際に天地を切りそろえる。新補の表紙の芯に、室町時代の雁皮紙の写経切を転用したものがあり、さらに同経切を、裏打紙に利用した箇所もある。現状の表紙と帙は、江戸時代の修理の際のものである。
 各帖の大きさは、標準的に縦23cm、横9cm。白色ないしは茶・淡茶色の斐紙とみられる料紙で、大半に裏打ちが施される。本紙補強のため、裏打紙に渋引きの刷毛目がある帖も、少なくない。
 経本の巻首巻尾には、経名と巻次、千字文が記される。経文は、通例の1行17字詰の他に、15~19字詰の箇所もある。1折5行詰。本紙の経文は、淡墨界中に書写される。近世の補写には、押界の部分が多い。
 巻第八十二に、「又一校了 養和元年八月八日 僧道重」の朱筆校合奥書があり、書写は、養和元年(1181)と、ほど遠からぬ頃と考えられる。僧道重なる人物については、不詳。朱句点がある帖数は、182帖。また、これに、朱句点はないが僧道重筆と見なされる、朱筆校合奥書があるもの16帖を加えた、計198帖が、養和元年8月8日以前の書写である。
 この他、「建久九年七月三日書写了」(巻第二百五十一)、「永禄八乙丑二月時正日任本書之筆者 周聡」(巻第三百六十一)、「応永廿六季己亥初吉日」(巻三百八十六)の年紀のある書写奥書がある。また、「(一)校了」のみの奥書が、大半に記されるほか、近世補修の奥書が、本紙・帙に見られる。また、古体の片仮名や乎呼止点等の訓点が付されているものが、77帖を数える。
 書風は、種々多様であるが、僧道重校合本を中心とした平安時代末と、建久9年(1198)書写本を中心とした鎌倉時代初期に、大別される。
 特に、平安時代末において、整然とした1巻1筆のものと、数人の寄合書との功拙差が、甚だしいのが特徴である。また、単に「校了」とのみ奥書がある巻に、平安時代末から鎌倉時代初期とみられる、習熟した書風のものが多い。
 大般若経としては、書写本・版本を合わせて県下最古の遺例であり、かつ、全600帖全員が伝わるほか、経本を納める唐櫃も完存する。

参考情報

 当該大般若経は、平成4年度国庫補助事業として、調査を実施したものである(調査主体:山口県教育委員会)。平成5年3月には、調査報告書を、刊行している。

画像

大般若経 関連画像001

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大般若経 関連画像003

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