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文化財の概要

文化財名称

旧下関英国領事館

文化財名称(よみがな)

きゅうしものせきえいこくりょうじかん

市町

下関市

指定


区分

重要文化財

時代

明治

一般向け説明

 下関市唐戸町に所在し、下関市が管理している。本館は煉瓦造、2階建、桟瓦葺。(小屋根は銅板葺)建築面積は170.6㎡。棟高は11m余。附属屋は煉瓦造、平屋建、桟瓦葺で建築面積は77.6㎡。1906年(明治39)に英国政府工務局上海事務所建築技師長のウィリアム・コーワンが設計した。赤煉瓦を基調に、開口部などの要所に石材を用い、煙突をもった段々状の妻壁と、連続アーチと列柱をもつベランダに特徴がある。内部は暖炉が設けられ、モウルディングや中心飾りなどの意匠によく整っている。
 1941年(昭和16)に領事館は閉鎖されたが、1954年に下関市が購入した。
 領事館として使用することを目的に国内で建設された建物としては、現存する最古の事例であり、歴史的価値も高い。

小学生向け説明

 下関市にあります。本館はレンガ造り、2階建て。附属屋はレンガ造り、平屋建て。1906年(明治39)に、英国政府の建築技師ウィリアム・コーワンが設計したものです。
 1941年(昭和16)に領事館は閉鎖され、1954年(昭和29)に下関市がこの建物を購入しました。
 領事館として使用することを目的に国内で建設された建物としては、現存する最古の建物です。

文化財要録

要録名称

旧下関英国領事館

指定区分・種類

重要文化財(建造物)

指定年月日

平成11年5月13日

所在地

山口県下関市唐戸町四番一一号

所有者

下関市

制作等の年代又は時代

明治39年(1906)
※棟札に「上棟 明治参拾九年八月九日」の墨書銘あり。

構造及び形式

① 本館(主屋) 1棟
ア 構造形式
*煉瓦造総二階建、屋根寄棟造桟瓦葺(小屋根銅板葺)。
*南面して建ち、北面・東面・西面に段上切妻壁及び煙突を設ける。
*外壁煉瓦イギリス積。
*一・二階ともに軒及び腰に帯状石飾りを廻す。
*内部の床板張り、壁一部腰羽目板張りの他、壁・天井ともに漆喰塗り。
 
イ 規模
*桁行 正面両端煉瓦壁外面間 14.333m
*梁間 側面両端煉瓦壁外面間 11.900m
*軒高 煉瓦壁上端より軒蛇腹上端まで 約7.875m
*棟高 煉瓦壁基礎上端より棟木上端まで 11.244m
*平面積 煉瓦壁外面内側面積 一階 153.068㎡
                   二階 155.176㎡
                 延面積 308.244㎡
*建面積 煉瓦壁外面内側面積
(一階テラス・二階ベランダを含む) 170.634㎡

② 附属屋 1棟
ア 構造形式
*煉瓦造平屋建、西側寄棟造、東側切妻造、東側より南側に突き出た付室は片流れ寄棟造、屋根桟瓦葺。
*外壁は西側・北側・東側及び付室を煉瓦イギリス積、西北隅部は四分円形とし、東側・西側は煉瓦外周壁と一体とする。南側は木造真壁造漆喰塗仕上げ。
*間仕切壁は煉瓦壁漆喰塗仕上げ。
*東側切妻面中央に煙突を建ち上げる。
 
イ 規模
*桁行 正面両端煉瓦壁外面間 16.800m
*梁間 正面両端煉瓦壁外面間(付室を含む)9.835m
*建面積 84.478㎡

③ 塀(煉瓦造) 4条
*南面 15.29m
*東面 14.58m
*西南面 3.43m
*西北面 3.43m

④ 門扉 一基
*鉄製 高さ172.0㎝ 幅143.0㎝   

参考情報

(1) 下関に英国領事館が開設され現位置に移るまでの経緯は『下関市史 市政施行以後』(下関市、一九五八年)による。
 本館、附属室は、昭和六二年六月三日に下関市指定文化財(建造物)となった。また、昭和六二年から平成元年にかけて本館、附属屋の改修工事が行われ、現在の形で公開活用されるようになった。
(2) 煉瓦塀は、附指定。煉瓦塀はもとは、敷地の西側境にも巡らされていたが、昭和六十年に領事館の敷地を含む唐戸地区一体の整備が行われ、その際に撤去された。この時には、南側の煉瓦塀の東方も手前に引き込む変更が加えられた(もとは直線状の塀)。なお、この位置の塀には、西側の煉瓦塀が移設され用いられている。
(3) 幣串は附指定。「明治参拾九年八月九日」の記がある。
(4) 泉田英雄「東アジアの初期イギリス公館建築の営繕らついて その2」(『建築史学』第一六号、一九九一年三月)にその詳細が紹介されている。かつて当建物の設計者はハンセルといわれていたが、泉田の研究によって、コ-ワンの設計であることが明らかになった。コ-ワンの作品としては他に、旧長崎英国領事館(重要文化財)が現存している。
(5) 英国公文書館が所蔵する史料に平面図が残されており、それに部屋名等が書き込まれていて、当初の各建物・各室の利用状況が判明する。また、開設時の職員は、領事=E.A.Griffiths、補佐=Hugh Horne、海事監督官=Robert Murray、書記官=Y.Musashiであったことが『The Japan Directory 1908年版』によって知られる。
(6) この改修によって、切妻造部分の内部にあった間仕切用の煉瓦壁の大半を撤去、切妻造部分の西側と片流れ部分の中央部に通路が新設(既存の煉瓦壁を撤去)された。このため、指定部分から附属屋の内装を除く。
(7) 住宅系の建物を領事館として利用したものには、旧居留地等により古い事例が存在する。また、この地に第2次世界大戦以前に建てられた領事館建築としては、長崎市の旧英国領事館(明治四〇年)、函館市の旧英国領事館(大正二年)・旧ロシア領事館(明治四一年)、横浜市の旧英国領事館(昭和六年)等がある。

地図

画像

旧下関英国領事館 関連画像001

旧下関英国領事館 関連画像002

旧下関英国領事館 関連画像003