山口県の文化財

指定文化財の検索

文化財の概要

文化財名称

正八幡宮

文化財名称(よみがな)

しょうはちまんぐう

市町

山口市

指定


区分

重要文化財

時代

江戸時代

一般向け説明

 正八幡宮は山口市秋穂西に鎮座の古社である。本殿は三間社流造りで、桁行6.67m、梁間6.67mで、屋根は桧皮(ひわだ)葺き、周囲を鞘(さや)で覆っている。正面に木階(もこし)があり、本殿周囲三方に縁をめぐらし、高欄を付す。各所の蛙股はその彫刻が丸彫りに近い江戸時代中期の手法であるが、正面の一部に室町期のものが残っている。
 拝殿は桁行9.70m、梁間6.60?m、屋根は入母屋造りで桧皮葺き、三方に廻縁があり、正面に石段が付く。
楼門は一間一戸の楼門形式で、屋根は入母屋造りで桧皮葺きである。正面に向拝が付き、左右に翼廊(よくろう)がある。楼門、翼廊を含めた桁行は22.95m、梁間は3.76m。両翼は後方に3.84m突出している。現在、正面中央一間を通路としているが、基礎や柱の柄穴の痕跡から全体を両翼と同様に拭板敷にした楼拝殿であったと知れる。側面三間のうち二間が後方に突出していることは、回廊形式に似ている。
 社伝によれば、814年(弘仁5)に二島の古宮の地に創建されたといい、1501年(元亀1)に大内義興が現在地に社地を移したという。現在の社殿は1740年(元文5)に長州藩主毛利宗広によって建立されたものである。
本社は山口県独特の楼拝殿造りを踏襲し、装飾部分がすぐれ、広大な屋根の全体を桧皮葺きとするなど、江戸時代中期を代表する立派な社殿ということができる。

小学生向け説明

 正八幡宮は、山口市秋穂に古くからある神社です。平安時代の初めごろにつくられたといわれ、室町時代になって大内義興(おおうちよしおき)が現在の場所に移したといいます。この社殿は、江戸時代中ごろに長州藩主毛利宗広によって建てられたものです。
本殿の建築手法は江戸時代中期のものですが、正面の一部に室町期のものが残っています。
 拝殿は、三方に縁がついており、正面に石段があります。
楼門には、正面に向拝がつき、左右に翼廊(よくろう)があります。現在、正面中央一間を通路としていますが、むかしは翼廊とともに板敷にしてあった楼拝殿形式であったと思われます
 本社は山口県独特の楼拝殿造りで建てられており、かつ、江戸時代中期を代表する立派な社殿です。

文化財要録

要録名称

正八幡宮

指定区分・種類

重要文化財(建造物)

指定年月日

平成1年9月2日

所在地

山口市秋穂西337番地

所有者

宗教法人 秋穂正八幡宮

制作等の年代又は時代

江戸時代 元文5年(1740)

員数

三棟(本殿、拝殿、楼門)

構造及び形式

〔本殿〕
 三間社流造、桧皮葺、桁行三間、梁間三間、周囲を鞘で覆う。内陣二間円柱、外陣角柱面取、正面木階5級昇高欄宝珠付。本殿周囲三方に縁をめぐらし高欄を付す。外陣正面中央部両開き扉、両脇引違板戸、側面左右引違板戸、内陣との境に幣軸をめぐらす。
(規模)
建坪 44.49㎡、床高 2.43m、桁行 6.67m
梁間 6.67m、軒出 前流 2.50m、後流 2.50m
棟高 11.03m

〔拝殿〕
桁行三間、梁間三間屋根入母屋造、桧皮葺、天井中央格天井、四隅に大瓶束をたて上に組物をおく。周囲化粧屋根裏。床奥3分の2畳敷、前3分の1板敷、三方に廻縁を付し、正面及び右側に石階を設ける。本殿との間を切妻造の幣殿でつなぐ。
(規模)
建坪 64.0㎡、桁行 9.70m、梁間 6.60m
軒出 1.20m、床高 0.92m、棟高 7.85m
 付 幣殿 建坪 26.32㎡、桁行5.16m、梁間5.16m

〔楼門〕
一間一戸楼門、入母屋造、向拝、翼廊付、左右翼廊各桁行延長八間、梁間一間、切妻造、屋根桧皮葺。正面の一間を通路としているが、基礎や柄穴の痕跡から全体を拭板敷とした楼拝殿であったことがうかがわれ、側面三間中二間が後方に突出し、回廊形式に似ている。磁石天場周囲に溝をほる。
(規模)
建坪 135.6㎡、桁行 22.95m、梁間 3.76m
両翼突出部 3.84m、向拝の出 2.75m、
軒出(表裏とも)1.20m、床高 3.22m、棟高 10.87m

地図

画像

正八幡宮 関連画像001

正八幡宮 関連画像002

正八幡宮 関連画像003