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文化財の概要

文化財名称

赤間神宮文書

文化財名称(よみがな)

あかまじんぐうもんじょ

市町

下関市

指定


区分

重要文化財

一般向け説明

  赤間神宮に伝来した阿弥陀寺(あみだいじ)文書。阿弥陀寺は、1185年(寿永4)、壇ノ浦に入水した安徳天皇が葬られ、その菩提を弔う御影堂が建立された寺。1875年(明治8)、阿弥陀寺は廃され、仏像を除く宝物は一括して、跡を継承して新しく造られた赤間宮(1940年から赤間神宮となる)に伝えられた。
 現存する文書の総数は65点。時代別には、鎌倉時代21通、南北朝・室町時代20通、桃山・江戸時代21通、このほかに室町時代の「阿弥陀寺領田地坪付并土貢帳」1冊、「阿弥陀寺境内絵図」1通、「阿弥陀寺別当次第」1通がある。

小学生向け説明

  現在の下関市にあった阿弥陀寺(あみだじ)は、鎌倉時代のはじめに、安徳天皇の肖像(しょうぞう=姿を描いた絵)をおさめる建物を中心につくられましたが、1875年(明治8)になって廃止されました。そのとき、寺の宝物は赤間神宮に伝えられました。その中にふくまれていた阿弥陀寺の古文書が「赤間神宮文書」です。

文化財要録

要録名称

赤間神宮文書 

指定区分・種類

重要文化財(古文書)

指定年月日

昭和51年6月5日 (文部省告示 第106号) 文第18号

所在地

下関市阿弥陀寺町4番1号

所有者

宗教法人 赤間神宮

目録

                      (縦 cm) (横 cm)
第1巻 
(1)天福元年十二月日長門国庁宣 33.7×50.0
(2)嘉禎三年五月日長門国庁宣 31.0×91.1
(3)嘉禎三年五月二十五日阿弥陀寺免田注文(折紙) 15.5×44.1
(4)嘉禎三年七月十八日長門国留守所下文 33.5×52.0
(5)嘉禎四年五月二十五日長門国々宣 31.0×47.0
(6)嘉禎四年六月十五日長門国留守所下文 31.7×46.5
(7)嘉禎四年七月二十七日関東御教書 32.0×45.3
(8)嘉禎四年八月二日前和泉守藤原某下知状 33.5×51.8
(9)仁治二年正月日長門国庁宣 33.6×48.6
(10)文永元年四月五日長門国庁宣 33.6×51.0
(11)文永貳年四月五日長門国々宣 33.7×50.5
第2巻
(12)弘安五季三月日長門国庁宣 33.6×59.0
(13)正応四年九月十日長門国庁宣 直講清原真人外題 33.5×55.0
(14)正応四年九月十日長門国々宣 32.9×44.5
(15)永仁四年八月十日鎮西探題御教書 33.5×52.0
(16)永仁六年四月十六日六波羅御教書 33.2×50.0
(17)正安元年十二月廿二日北条時仲施行状(折紙) 33.6×52.0
(18)正安三年八月廿五日左近将監朝誉奉書(燈油リョウ船事) 33.4×51.0
(19)正安三年八月廿五日左近将監朝誉奉書(殺生禁断事) 33.7×51.2
(20)正安三年九月二日左近将監朝誉奉書 33.7×52.0
(21)正安三年九月三日能南遵行状(折紙) 31.6×44.5
第3巻
(22)文和五年二月廿八日足利尊氏御判御教書(祈祷事) 30.2×43.5
(23)文和五年二月廿八日足利尊氏禁制 30.3×47.5 
(24)応永九年七月十日多々良盛見安堵状案 42.0×166.0
(25)応永十五年二月九日幡生蔵人丞忠本去渡状案 42.0×166.0
(26)応永十五年二月九日幡生蔵人丞忠本去渡田地坪付案 42.0×166.0
(27)応永十六年閏三月十八日沙弥即阿安堵状案 42.0×166.0
第4巻
(28)弘治二年三月廿四日毛利元就安堵状 30.8×46.0
(29)「永禄四年」十二月廿六日小早川隆景書状 27.0×65.7
(30)永禄十年二月五日毛利元就・同輝元連署安堵状 28.2×44.2
(31)十一月廿九日毛利元就書状(折紙) 18.5×40.0
(32)八月十二日毛利元就書状 28.0×43.3
(33)十月廿八日小早川隆景書状(折紙) 28.2×44.3 
(34)「永禄十一年」九月廿八日小早川隆景・吉川元春連署安堵状(折紙) 13.8×85.0
(35)十二月廿三日毛利隆元書状 28.5×63.0
(36)天正拾七年卯月八日毛利輝元安堵状 28.8×45.5
(37)八月四日毛利輝元書状 27.8×42.0
(38)天正十四年貳月廿三日毛利輝元安堵状 31.8×42.8
(39)十二月八日毛利輝元書状 27.5×44.5
第5巻
(40)卯月九日国司右京亮元武書状(折紙) 27.2×38.7
(41)「天正十四年」十一月廿日国司右京亮元武・桂左衛門大夫就宣連署書状(折紙) 26.5×38.8
(42)卯月十三日国司右京亮元武書状(切紙) 14.5×66.2
(43)卯月十四日元良書状 19.0×43.0
(44)「天文十二年」霜月十六日矢田備前守兼重書状 28.0×43.0
(45)三月十九日大通寺棟栄書状 28.7×40.4
(46)二月六日国司右京亮元武書状(折紙) 27.2×45.5
(47)「天正十四年」三月十五日内与三右元栄書状(折紙) 12.4×35.7
第6巻
(48)「元和元年」十一月廿六日椙下総守元種等連署書状(折紙) 31.7×47.2
(49)「元和元年」十一月廿二日椙下総守元縁等連署書状(折紙)首に黒円印あり 28.4×42.3
(50)「元和四年」壬三月廿一日伊チツ釆女正等連署書状(折紙) 31.8×45.8
(51)正月廿八日小笠原三郎兵衛等連署書状(折紙) 30.3×44.0
(52)八月廿二日三谷五郎兵衛等連署書状(折紙) 29.7×44.2
(53)子十二月十五日時田権大夫等連署申渡状 29.7×44.2
(54)戌九月廿一日時田権大夫等連署申渡状 29.8×43.7
(55)「正徳四」 午 七月十一日時田権大夫等連署申渡状 29.4×43.3
(56)「正徳四」 午 七月十一日時田権大夫等連署申渡状 29.2×43.6
(57)(天正十五年)三月廿七日安徳天皇御追福懐古和歌会作者覚 28.3×42.5
第7巻
(58)文明十一年三月十二日後土御門天皇綸旨(包紙一紙添) 32.3×48.6
(59)長享二年六月廿一日後土御門天皇綸旨(包紙一紙添) 32.8×43.8
(60)享禄二年十二月廿日後奈良天皇綸旨(礼紙・包紙一紙添) 31.4×43.0
(61)永禄五年五月廿五日正親町天皇綸旨(包紙一紙添) 30.1×45.4
第8巻
(62)永正十六季三月日阿弥陀寺別當秀益言上状 29.0×123.5
第9巻
(63)阿弥陀寺別當系図(1巻) 34.8×119.5
第10巻
(64)阿弥陀寺絵図(1巻) 右端に永仁二年再建時を伝える旨の覚書一紙あり 30.8×90.0
冊子本
(65)長州阿弥陀寺領椋野後田所々田地坪付并土貢帳(1冊)原表紙共 26.4×17.8

員数

一〇巻
一冊

参考情報

 明治8年10月7日、勅願寺阿弥陀寺が廃されて創建された官幣中社赤間宮に仏像を除く阿弥陀寺の寺宝類が1括伝襲された。そのなかには、重要文化財平家物語長門本、山口県指定有形文化財安徳天皇絵8幅をはじめ平家一門画像と共に古文書類が含まれている。
 昭和15年8月1日、官幣大社赤間神宮と改称され、昭和20年7月2日戦災を受けたが、平家物語長門本の焼損を除いては、幸いに疎開してあり、焼失をまぬかれることができ、現在にいたるまで大切に保存されている。 
 昭和48年10月19日 (山口県教育委員会告示 第6号)
 山口県指定有形文化財(古文書)

地図

画像

赤間神宮文書 関連画像001

赤間神宮文書 関連画像002