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文化財の概要

文化財名称

花月楼

文化財名称(よみがな)

かげつろう

市町

萩市

指定


区分

有形文化財

時代

江戸時代

一般向け説明

 萩市椿東の松陰神社境内に所在する。主屋部は桁行8.7m、梁間12.4m、屋根は一重、入母屋造り、桟瓦葺きである。平面は広間八畳、床・棚・出書院付の上段の間四畳、それにつづく入側十二畳と庇縁、次の間六畳及び水屋土間からなる。南面に玄関、同控の間二畳、待合室四畳半の突出部がある。
 この建物は1776年(安永5)に長州藩7代藩主毛利重就が、表千家家元7代如心斎の門人、川上不白が献上した図面によって、三田尻の別邸に建築した茶室である。花月楼の名称は、茶事七事式の第一である花月式に由来する。
 この茶室はのち萩の平安古に移され、さらに1888年(明治21)に品川弥二郎が松本橋袂の自宅に移していたが、1959年(昭和34)に現在地に移築された。

小学生向け説明

 萩市の松陰神社境内にあります。
 この建物は、1776年に長州藩主毛利重就(もうりしげなり)が、表千家の家元7代如心斎の門人川上不白より献上された図面によって、防府市三田尻の別邸に建築した茶室です。
 この茶室はのちに萩市の平安古に移され、さらに1888年(明治21)に品川弥二郎が松本橋袂の自宅に移しましたが、1959年(昭和34)に現在地に移築されました。

文化財要録

要録名称

花月楼  1棟

指定区分・種類

建造物

指定年月日

昭和54年12月4日(山口県教育委員会告示 第7号)

所在地

萩市椿東1537番地の1

所有者

宗教法人 松陰神社

制作等の年代又は時代

安永5年(1776)の頃
萩藩第7代藩主毛利重就が三田尻別館に建立したもの。

員数

一棟

構造及び形式

木造主屋部は桁行8.7m、梁間12.4m、一重、入母屋造、桟瓦葺。
南面に玄関突出部、桁行2m、梁間3m、桟瓦葺。
 (西面の附属室突出部、桁行1m、梁間3m、切妻造、北面の付属突出部、桁行6.9m、梁間2.9m、切妻造の、両付属突出部については、部材がすべて新しく、指定の範囲から除外する。)
〔規模〕
 主室部は、広間8畳、上段の間4畳(床・棚・出書院付)、入側矩所12畳と庇縁、次の間6畳及び水屋・土間より成る。
 南面の突出部には玄関、同控の間2畳、待合室4畳半を設ける。
 (付属舎の厨房、湯殿、雪隠及び同渡廊等は指定の範囲から除外する。)
〔概要〕
 茶室は広間(花月風・8畳)の上席に4畳の上段の間(床・棚付)と付書院、また、広間の東側(客座側)と南側(踏込側)に一間通りの入側の間(矩折り、12畳)を設け、入側筋の建具を外した場合は20畳敷の広間とすることも可能な花月特有の茶室平面からなり、東の出庇には通しの切目縁を設け、軒下に舟形の手水鉢や沓脱石を配している。
 一方、西側には次の間6畳があり、つづいて水屋・土間があり、南の張出部には正面一間の玄関構がある。
 広間の炉は4畳半切、点前畳に座して左方に上段の間があり、正面(東面)と下手(南面)の側回りは入側に面して腰付障子建、背面は上壁に腰紙が貼られ、その下手柱間は襖建てで茶道口となる。
 茶室の柱は杉面皮付角柱で、建具内法は5尺7寸、点前座背面の壁付にも無目鴨居と回し、櫛形欄間が四周に設けられている。欄間は小壁高さ2尺2寸の中に上・下へ同寸法の蟻壁をつけて内法1尺4寸に明障子を建てる。天井高は畳上端から8尺1寸8分、杉面皮の棹縁天井で入側は杉丸太捶の化粧屋根裏に拵える。
 上段の間は広間から柱1本分だけ高くして4畳敷、正面中央に奥行き2尺6寸3分の一間床を構え、向って左脇半間には地袋棚、右脇半間には一文字棚を設ける。また、東面には出1尺5寸で地袋付の付書院を設け、西側には明障子建ての掃出口を造作しており、明り窓ともなっている。天井は紙貼り天井で高さは畳上から8尺1寸2分ある。正面床柱は向って左が松皮丸太、右には杉面皮柱を用いるが、地袋棚の松戸前面は砂摺・砂金子をあしらい、左右の棚と付書院の天井には飾具用の蛭釘をつけ、茶席の華奢な一面を伺わせる。

地図

画像

花月楼 関連画像001

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