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文化財の概要

文化財名称

木造阿弥陀如来坐像

文化財名称(よみがな)

もくぞうあみだにょらいざぞう

市町

光市

指定


区分

有形文化財

時代

平安時代

一般向け説明

 光市の伊藤公記念館に蔵されている。ヒノキ材の一木造り。像高は90cm。体部は内ぐりをほどこし、ひざ前は別材をはいでいる。両手は上品下生(じょうぼんげしょう)という手印である。蓮座(高さ62cm)の上に坐している。制作は平安時代後期、12世紀頃と見られる。台座の表面に寛正2年(1461)の修理銘がある。地方作であるが、蓮座が造像当初のまま残っていることは例が少なく貴重である。本像はもと、この地の林照寺の本尊であったが、明治初年の廃寺にともない、行方不明となっていた。明治24年に発見され、もとあった束荷村(現光市)にもどったのである。

小学生向け説明

 光市の伊藤公記念館にあります。
 ヒノキを材とした一木造りで、仏像の高さは90cmです。仏像が座っている蓮座の高さは62cmで、当初からのものです。
 つくられたのは平安時代後期、1100年代とみられます。地方作ですが、蓮座が当初のまま残っていることは例がすくなく貴重です。
 この仏像は、もともとこの地の林照寺の本尊でしたが、明治初年の廃寺にともない、行方不明となっていました。明治24年に発見され、もとあった束荷村(現光市)にもどりました。

文化財要録

要録名称

木造阿弥陀如来坐像

指定区分・種類

彫刻

指定年月日

昭和57年4月16日(山口県教育委員会告示 第1号)

所在地

光市大字束荷第2324番地の1 伊藤公記念館

所有者

光市

制作等の年代又は時代

平安時代後期(修理銘 寛正2年 1461)

員数

一躯

製作者

不明

由来及び沿革

【伝来】
 木造は蓮台の銘によれば、熊毛郡束荷村(現大和町)吉祥院の本尊で、寛正2年(1461)に修補が行われたことがわかる。
 吉祥院は直言宗の古刹であったが、江戸時代の初めに、束荷村の林氏一統の始祖林淡路守の菩提寺となり、真宗に改宗して、淡路守の法名によって林照寺と改めた。
 ところが、明治維新後、塩田村(大和町)の光明寺に合併して廃寺となり、本尊である本像が行方不明となった。
 たまたま、明治二十四年、時の山口高等中学校教授谷本文学博士が徳山中学校で講演して同地徳応寺に宿泊した際、寺町の古物商の店頭で発見した。
 古美術の鑑識に長けた博士は、直ちにこれを購入したが、蓮台の銘文により、本像が古祥院から林照寺に移り、さらに廃寺とともに転々として古物商の手に移ったことを探知し、徳応寺住職赤松照憧師に托して、因縁深い束荷村に返還方を依頼した。
 そこで、赤松師は塩田村浄泉寺住職を通して博士の深意を束荷村有志に伝え斡旋するところであったが、機熱するに至らなかったので、仏像を山口の博士のもとに送付した。
 その後二年、谷本博士は一身上の都合で学校を辞して東上することになったので、上述の経緯を蓮台上に墨書し、山口市讃井の円竜寺に預けた。
 かくて、その後二十六年間の曲折を経て、大正七年、束荷村有志の尽力により、十一月五日に遂に円竜寺から束荷村に迎えることになった。
 翌八年五月十一日、伊藤神社の竣工にあたり、因縁によって伊藤公旧宅に仮に安置することになった。
 現在は旧宅の同敷地内に隣接して、別宅として建てられた伊藤公記念館に移して一般に公開せられている。

品質及び形状

【形状】
・本躰……肉髻を高く盛り上げ、螺髪は切子型を彫出する。(後頭部は省略)肉髻珠、白毫相をあらわすが共に欠失。彫眼。三道を刻出。衲衣は左肩を蔽い、右肩に少しかかる。
 右手は屈臂して斜め上にあげ、掌を前にして立て、第1指と第2指に沿って下げ、臂を屈して膝上に置く(手首から先を欠失)右足を前にして蓮台上に結跏趺坐する。
・台座……七重蓮華座
ア.蓮台 蓮肉は上面円形で丈の低い皿型である。蓮弁は現状では前面のみ4段魚鱗葺である。もっとも蓮弁は多く剥落していたものを後に打ち付けたという。蓮弁の残存枚数は、完全なもの22枚、半片のもの5枚である。
イ.上敷茄子 丈の低い太鼓形
ウ.華盤 八葉形
エ.受座 八画の朝顔形
オ.下敷茄子 鼓形
カ.反花 間弁付きの単弁八葉。もっとも背面の二葉は連続し、間弁を略す。
キ.框座 3段の八角形。2段目と3段目の背面は一体となり、10㎝ばかりの欠込みがある。・本躰……ヒノキ材の一木造り。頭部、躰部を両腕の下膊部中央付近までを含め、竪一材から彫出し、背面の襟下から地付部までを割り、内刳りを施し、背板を矧ぎつける。
 頭部には内刳りを施さない。右手は下膊の中央部と手首で刳ぐ。左手は手首から先を別材で彫り出し、袖部に差し込む。膝前は左袖部を含めてヒノキの横一材から彫り出し、地付の縁を約3.0㎝ばかり残して大きく刳り、二ヵ所のほぞで躰部に矧ぎ寄せる。彩色は大半剥落しているが、頭部に墨彩面部、三道の付近及び肉身の一部に漆箔(麻布下地)のあとが残る。
 また、衲衣にはベンガラ黒漆彩のあとをとどめる。鼻顔・両耳朶欠失。左肩下に菱形の小埋木(11.5㎝×4.0㎝)。右脇下を大きく欠損(26.0㎝×9.0㎝)。欠損部の左端に小材を補う。左脇下に虫害による小穴がある。左下膊中央部から手首まで桐材の後補。右手の第3・4・5の指先を欠失。膝前右踵の後ろに虫害とみられる小穴(6.5㎝×2.5㎝)がある。裳先欠失。
 全体にかなりの虫害がある。
・台座……蓮肉・上敷茄子・華盤・受座・反花はヒノキの一材から彫り出す。下敷茄子も当初はヒノキの一材であったと思われるが、半分を欠損し、後補している。
 框座は厚手のヒノキの板二枚を二ヵ所の鉄くさびで矧ぎつける。それぞれベンガラ黒漆彩を施す。
 蓮肉の底と框座の上の中心に丸ほぞ穴をうがち、その他の各部分の中心部に丸ほぞ穴を貫通させ、丸心棒を通して結合している。

寸法又は法量

(1)本躰
単位cm
像高 90.4
頂上~顎 31.7
面上 18.0
面巾 17.5
耳張 20.5
面奥 23.0
胸奥 24.2
腹奥 27.4
臂張 49.6
膝張 71.6
同高 16.2
同奥 52.0

(2)台座
単位cm
蓮肉構径 74.8
同縦径 69.2
同厚さ 17.6
上敷茄子径/19.2
同高/8.0
華盤径/46.4
同高/6.9
受座横巾/34.5
同対角線巾/37.0
受座高/7.0
下敷茄子上径/13.8
同下径/12.8
同高/10.0
反花径/41.2
同高/5.8
框座総高/6.7
同一段横巾/86.5
同縦巾/78.2
框座一段高/3.0
同二段横巾/70.2
同縦巾/68.0
同高/2.0
同三段横巾/55.0
同縦巾/54.4
同高/1.8
ほぞ穴径/8.3 

銘文

(1)再興銘……蓮肉の表面に墨書する。銘文は次の通りである。
「奉再興當寺本尊無量壽佛並観世音□□□□(地蔵望理)多年願望成就畢二世安樂祈願〔   〕□(者)也
于時寛正二年辛巳十一月二日吉祥寺〔    〕敬白」
(2)追銘……蓮肉の表面に墨書する。銘文は次の通りである。
「明治廿四年春余以官命往徳山偶
得此古像傳云弘法大師所作焉
在熊毛郡束荷村林照寺々廢像
落坊間賈人之手久晦其跡後遂
歸余嗚呼豈偶然哉今シ余辞職将
東歸忍情割愛委赤松照憧上人
還附有縁之地云爾
  明治廿六年十二月 谷本 富」

地図

画像

木造阿弥陀如来坐像 関連画像001

木造阿弥陀如来坐像 関連画像002

木造阿弥陀如来坐像 関連画像003

木造阿弥陀如来坐像 関連画像004