阿月の神明祭
あつきのしんめいまつり
柳井市
国
重要民俗文化財
阿月の神明祭は、山口県柳井市大字阿月において伝承される行事である。本来旧暦の1月15日に行われた小正月(こしょうがつ)の火祭りの行事である。災厄除けや病気除け、豊作祈願の要素とともに若者仲間からの脱退儀礼としての性格がみられる点に特色がある。
朝のうちに地区の砂浜に東西に分かれてそれぞれ1本ずつ、御幣(ごへい)や橙(だいだい)などで飾り立てたシンメイと呼ばれる長い柱を立てる。シンメイを立て終わると、前年結婚し仲間を退会する若者を担ぎ、海に投げ込んで祝う儀礼が行われる。昼と夜の2回このシンメイの前でシンメイ踊りと呼ばれる女性による笠踊りや男性が新撰組や赤穂浪士の扮装をして踊る踊りと、長持ちを担いで練り歩く長持ちジョウゲなどが行われる。夜のシンメイ踊りの終了後にはシンメイに火が点けられて焼かれ、海側にシンメイを倒される。人々は倒れたシンメイから飾りや御幣などを取り合って家に持ち帰る。また燃えている火で餅などを焼いて食べると病気をしないなどともいわれている。
阿月の神明祭は、柳井市の阿月に伝わる行事です。もともと旧暦の1月15日に行われた小正月(こしょうがつ)の火祭りの行事です。わざわいや病気を防いだり、豊作を祈願したり、若者仲間から抜けるための儀礼としての意味をもっています。
朝のうちに地区の砂浜に東西に分かれてそれぞれ1本ずつ、御幣(ごへい。折った紙を木にはさんだ、おはらいのための道具)や橙(だいだい)などで飾ったシンメイと呼ばれる長い柱を立てます。シンメイを立て終わると、前の年に結婚して仲間を退会する若者をかつぎ、海に投げこんで祝う儀礼が行われます。昼と夜の2回このシンメイの前で、女性が笠踊りをしたり、男性が新撰組(しんせんぐみ)や赤穂浪士(あこうろうし)の扮装をして踊ったり、長持ちをかついでねり歩いたりします。夜の笠踊りの終了後には、シンメイに火がつけられて焼かれ、海側にシンメイを倒されます。人びとは倒れたシンメイから飾りや御幣などを取り合って家に持ち帰ります。また燃えている火でもちなどを焼いて食べると病気をしないなどともいわれています。
阿月の神明祭
重要無形民俗文化財
昭和56年12月11日(山口県教育委員会告示第6号)
平成21年3月11日国指定
柳井市大字阿月
神明祭顕彰会
毎年小正月(旧正月14・15日)の行事。ただし、現在は2月11日(建国記念の日)に実施。
柳井市大字阿月2135番地の1。柳井市大字阿月1699番地の1。
阿月神明祭は、左義長(さぎちょう)という宮中の行事が民間に伝えられた俗称「とんど」と神明信仰の習合した神明祭に、小早川氏の軍神祭の習合した祭事である。
旧阿月領主の祖浦宗勝とその子景継は、小早川隆景に従って文禄元年(1592)朝鮮半島へ出陣の祈り、伊勢神宮へ祈願をした。以来小早川家の軍神祭として執行されることになったが、浦氏の阿月入国(正保5年、1648)後、阿月の東・西両部落の海浜二ヶ所に、天照皇大神宮並びに豊受大神宮を奉祀した。この祭りは旧正月14日、松・竹・椎・裏白・梅・橙・皇大神宮の大麻並びに扇等を以って天照大神をまつる御神体をつくることからはじまる。
この御神体を阿月では神明或いは神明様と言って、浦氏時代から今日まで連綿とつづけている。今日では阿月地区の人たちの熱意によって地区の祭りとして守りつづけられている。
(1)巻立て……神明造りの作業を言う。
旧正月三日を過ぎると神明の材料集めが青年達によって進められる。12月に黒松4本と心棒で脚をつくる。そして神笹の竹3本と松とを一緒にして3ヶ所をしめつける。ついで椎の枝でもちしばを作り、中心に大麻200枚を供え、下に橙の皮、上に梅の枝をつけ、神帯に5色(赤・青・黄・緑・白)の紙をつける。
なお、御神体を立てた後に「まえだれ」といって藁や椎の葉で脚の松や蜘蛛手をかくす。こうして高さ24mの御神体が東・西に各1基巻き立てられる。御神体巻立ての材料と形状については別図に示す。
(2)長持じょうげ……花笠を飾った長持に棒を結んで3人が担ぎ、又酒樽に棒をかけて3人で担いで長持囃詞というのを唄い、囃しながら特殊な足取りで練る行事である。
その前に1人短冊をつけた笹竹をもって先頭に立つ。長持には古くは食物を入れて持歩くものとされているから神饌長櫃の意味に違いない。各部落から神前に献進する神酒、御鏡餅その他の神饌を入れて運ぶ遺風である。
(3)起こし立て……東西2体の御神体すなわち神明を起こし立てる行事。
早朝身を清めた青年達は、白の鉢巻、白の肌着、白足袋の汚れを嫌った浄装で集まり、「長持じょうげ」を担いて通りを練り、「じょうげ」が宮の前に揃うと、神明の起こし立てにかかる。西方桧造りの仮神楽殿を設け12段張りの提燈、12段の幟等吹流しを立てる。
この行事の進止は法螺貝をもって行われる。起こし立てを終って、過去1年間に結婚した男子をお祝いするために、裸ん坊がすぐそばの海に投げこまれる。
(4)神明踊り……神明の下で昼夜2回にわたって御神幸の奉仕踊りを行う。
神明踊りの種類は古い形式では、14日夜「勢揃い」と言って普段着のまま神明宮の前で踊り、15日には「衣装揃い」と言って御神体の下で踊る。義士踊、笠踊が主体であった。近年は新しい趣向が加えられているが、何れも男は武器を執って武者踊りをし、女は菅笠をもって舞う笠踊りが原型と言える。音頭歌詞としては源平合戦の敦盛、熊谷直実、那須与一、太閤記、忠臣蔵の義士の討入りなどがある。神明行事の裸ん坊や踊り子らはみな未婚の男女に限っていた。阿月神明祭に神明踊のあることは特色の一つで、軍神祭りの遺風として特殊な点である。
(5)はやす……神明を焼くこと。
神明の前の霊代の鏡が撤去されて、昇神の式が済むと、総代によって神明に火がつけられる。たちまち火柱は火龍昇天の勢で燃え上がる。餅柴はふきあげる風にあおられながら焼けていく。火の粉は夜空一面に金砂子をまく。5色の神帯が次々に焼け切れていく。人々は囃し言葉をたてながら張り綱をたぐりつつ神明を海に倒す。心木の松の木は抜きとられて長い火の畝が浜に横たわっていつまでも燃えつづけるのである。
最後に若者達によって「シャン、シャン、シャン」と三度の締打ちが行われ、神事を終わるのである。
この祭りは浦家の単なる祭事ではなく、阿月地区民によって今日まで連綿と伝承されてきたものである。
〔構成〕
踊り子は女子(菅笠とかさを持つ) 33人
男子(刀又はナタを持つ) 10人
幼児 40人
女子(花笠、特製) 28人
(ただしこれは昭和56年2月11日の場合)
〔衣装及び道具〕
○「起し立て」及び「はやす」の時の男子は白の鉢巻、白の肌着、白の足袋。「神明踊」では男子は白の鉢巻、着物のたすきがけ、袴又は指貫を着用。女子は花笠を持ち晴着を着用。
○ホラ貝、太鼓、花笠、かさ、刀、十手。
・左義長(さぎちょう)
小正月に行われた火祭りを主とする行事。
民間では「とんど」「どんどんやき」など多くの呼び名がある。宮中では正月15日あるいは18日に清涼殿の東庭で行われ、青竹を3本束ねて立て、上に扇や短冊を結びつけ陰陽師や唱門師がこれをはやしながら焼いた。公家・武家の間でも同様の行事がある。民間では家々から正月の飾りを集めて神社や川原あるいは広場で焼くのが一般的であり、その火で餅や団子を焼いて食べると病気をしないとか、正月の書き初めを焼いて紙が高く燃えて舞い上がると字が上手になると言われている。
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