見島ジ-コンボ古墳群
みしまじーこんぼこふんぐん
萩市
国
記念物
古墳時代
萩市見島の東南部海岸一帯の小石の海浜に、比較的大きい玄武岩を用いて造られた 200基に近い積石塚の密集した群集墳。7世紀後半から10世紀初頭にかけて造られたと推定される。積石塚(つみいしづか)は、墓の上を盛り土ではなく自然石で厚く覆った墓をいう。
ジーコンボとは、土地の言葉で「爺」 「婆」のことを「じいこう」 「ばあこう」というところから、祖先の意味だという説がある。
この古墳群は、墓の内部の構造が竪穴式石室、横穴式石室、箱式石棺の三通りに分けられる。それぞれ、ほぼ地域的にまとまっており、造られた時期にも差がある。
埋葬されている者については、島内の居住者とは考えられず、墓の数が多いことや出土した武器類、装身具類、銅銭、土器類などから、当時の朝鮮半島の国新羅の侵入に備えて、中央の文化を持ってこの島に駐留していた武人の集団であったと考えられている。
萩市見島の東南部の小石の浜辺に密集している、全部で 200基ちかい墓の集まりです。それぞれの墓は積石塚(つみいしづか=墓を石でおおったもの)で、比較的大きな玄武岩(げんぶがん)を積んでつくられています。7世紀後半から10世紀初めにつくられました。それぞれの墓に埋葬されたのは、島に住んでいた人ではなく、外国からの軍の侵入をふせぐためにこの島にきた中央の武人の集団であっただろうと考えられています。
見島ジ-コンボ古墳群
史跡
昭和59年7月25日(文部省告示 第114号、59年8月31日正誤訂正)
山口県萩市見島字片尻
(1)(3)萩市 (2)(4)国有財産(国土交通省所管)
出土品は「見島ジ-コンボ古墳群出土品」として山口県指定有形文化財(考古資料)となっている。
(国指定以前の経過)
昭和47年に萩市指定史跡、昭和52年に山口県指定史跡に指定され、説明板、保護柵、標柱等が設置された(昭和53年度)。
昭和57年度 発掘調査(山口県教育委員会 「見島ジ-コンボ古墳群」1983年3月刊)
(参照・「山口県文化財要緑第1集(史跡・増補改訂)」1983年8月刊、147頁)
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