勝栄寺土塁及び旧境内
しょうえいじどるいおよびきゅうけいだい
周南市
県
記念物
南北朝時代
勝栄寺は、南北朝時代の1350~1370年代、現在の周南市富田に建立された時宗の寺院。山口善福寺の末寺であった。開山(寺の創始者)は基阿(ごあ)上人、開基(寺院創建の際、経済面を負担する信者)は富田に居を構えていた大内弘世の重臣陶弘政である。
勝栄寺旧境内は、裾部分の幅 約7~9m、高さ 約2.5mの土塁で囲まれ、その外側には幅約6m、深さ約1.6mの濠が巡らされていたことが発掘調査によって確認されている。このことから勝栄寺は、寺院でありながら同時に城館的施設であったと考えられている。
環濠はすでに埋められて田地になっているが、土塁の一部は県下で少ない例として今なお残存している。
勝栄寺は、南北朝時代の1350~1370年代頃に、現在の周南市富田に建てられた寺院です。寺を建てたのは、大内弘世の重臣で富田を本拠とする陶弘政でした。
勝栄寺の境内には、土塁(土をもりあげてつくった小さなとりで)と環濠(水を入れない堀のこと)がめぐらされ、武家屋敷にならった軍事的役割を担った施設であったと考えられています。
環濠はすでに埋められていますが、土塁の一部は今なお残っており、県下では貴重な事例となっています。
勝栄寺土塁及び旧境内
史跡
昭和62年(1987)3月27日(山口県教育委員会告示 第2号)
(県指定以前経過)
昭和47年度 新南陽市教育委員会「出城山勝栄寺の土塁等に関する調査報告書」(1972年12月、三坂圭治「出城山勝栄寺に関する史料的考察」、小野忠熙「勝栄寺遺跡の予察報告」を収録)
昭和58年度 発掘調査(市)(新南陽市埋蔵文化財調査報告書第1集「勝栄寺」1985年3月刊)
(参考)「周防富田道場勝栄寺の寺史と土塁のこと」(百田昌夫、「山口県文化財」第19号、1988年3月刊)
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