防府天満宮大専坊跡
ほうふてんまんぐうだいせんぼうあと
防府市
県
記念物
防府天満宮大専坊は、南北朝時代(1336~1392年)から明治初年にかけて防府天満宮の別当坊(べっとうぼう=神宮寺のこと)として、神社の経営に大きな役割を果たした。社寺などを中心となって支配する官職を別当といい、その場所が坊である。
天満宮には別当坊としての大専坊のほか、千蔵坊、乗林坊、等覚坊、円楽坊、会所坊、密蔵坊、東林坊、西林坊 があり、全部で9坊。
明治初年の神仏分離令によって坊の建物の多くは壊されたが、大専坊は壊されることをまぬがれ、旧境内地は天満宮が買収して現在に至っている。
神と仏を調和させていた神仏習合期の坊でありながら、明治時代の廃仏毀釈の後になお坊の建物を残している例は全国的にも多くはない。
防府天満宮大専坊は、約650年前の南北朝時代から、明治初年にかけて天満宮の別当坊(べっとうぼう)として大きな役割をはたしていた時の建物の一つです。
神社や寺などを支配する官職を別当といい、その住まいが坊です。
仏教を排斥(はいせき)しようとした明治時代の後で、まだ坊の建物を残している例は、全国的にも多くはないといわれています。
防府天満宮大専坊跡
史跡
昭和62年(1987)10月27日 (山口県教育委員会告示 第7号)
防府市松崎町75番
宗教法人 防府天満宮
(参考)「中世防府天満宮の社坊について」(平瀬直樹、「山口県文書館研究紀要」第15号、1988年3月刊)
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