宗隣寺庭園
そうりんじていえん
宇部市
国
記念物
南北朝時代
庭園は境内北側の書院の前にあり、築山と池を組み合わせた庭で竜心庭(りゅうしんてい)と呼んでいる。南向きの丘陵に中心となる石を立て、その石の下に池に落ちるように枯滝(石を組んで滝を表すもの)を組んでいる。池の中には八個の中型の立石を二列に配置して、全体として均整がとれ、立体感を添えている。
このような庭園は、14世紀(南北朝時代)につくられたと伝えられる京都の知恩院や南禅寺に似た型があり、この庭園の原型がつくられたのも南北朝時代のころと考えられる。
宗隣寺は、宇部の領主となった萩藩の家老福原広俊が、1670年(寛文10)、父の元俊の冥福をいのるために、古くからあって荒れていた普済寺(ふさいじ)の地に建てた。この庭園も、昔の普済寺の池や庭を改修整備したものといわれ、県内における最も古い庭園と考えられる。1968年(昭和43)に復元・改修工事が行われている。
この庭園は宇部市の宗隣寺にあります。築山(つきやま)と池を組み合わせた庭で、竜心庭(りゅうしんてい)と呼んでいます。石のならべかたなどに特色があり、似た庭園として14世紀につくられたと伝えられる京都の知恩院(ちおんいん)や南禅寺(なんぜんじ)の庭園があります。この庭園の原型がつくられたのもそのころと考えられています。この庭園は、宗隣寺ができる前からここにあったもので、県内におけるもっとも古い庭園と考えられています。1968年(昭和43)に復元・改修工事が行われています。
宗隣寺庭園
名勝
昭和58年(1983)2月7日 (文部省告示 第14号)
山口県宇部市大字小串
宗教法人宗隣寺
(国指定以前の経過)
昭和44年4月 「宗隣寺庭園復元改修之記」(宗隣寺刊、重森三玲「宗隣禅寺庭園―復元改修工事と本庭の価値に就いて―」所収)
昭和46年3月30日 名勝宗隣寺庭園の県指定(「山口県文化財要録」第2集参照)
昭和49年3月 国の文化財保護審議会が国指定名勝とするよう答申
昭和56年1月27日 現状変更(観音堂改築及び周辺の森の一部切り崩 し)
昭和60年4月16日 県指定解除(国指定以外の地域)
(県指定時の文章)
宗隣寺の池庭は南北朝時代を降らない時期の古庭園で、昭和43年古態を復元修理したものである。池庭の形式は、平面が瓢型を呈する大小2つの地割りと滝組みからなるが、向かって右側の大きい池の底部は2段になっており、干潟様の浅瀬がみられる。この浅瀬には二条の夜泊石が配列せられ立体感を添えている。このような形式をそなえた池庭を現存する古庭園に見ると、瓢型状の地割りについては、南北朝時代の作庭と伝えられる知恩院(常在光寺)や南禅寺天授庵庭園に類型があり、2段式の池底については岩手県平泉の毛越寺にその例があり、夜泊石の配石については平安時代から鎌倉時代の古庭園に同様の形式がみられるが、本池庭のものは鎌倉初期の西芳寺(苔寺)に一番近い。以上のことから、本池庭はその形式と構造のうえから平安~鎌倉時代にかさのぼることができる。したがって寛文10年(1670)福原氏の菩提寺として建立されて宗隣寺の庭園ではなく、室町時代にこの地にあった松江山普済禅寺の作庭にかかるものと推定される。
松江山普済寺については、大阪府豊崎の鶴満寺所蔵の朝鮮鐘に永和5年(1379)の銘文があり、本庭園の作庭時期はこれをさかのぼることが予測され、宗隣寺の庭園は本県における最も古い庭園と考えられる。
昭和50年 国指定名勝の答申あり。
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