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文化財の概要

文化財名称

伊藤博文旧宅

文化財名称(よみがな)

いとうひろぶみきゅうたく

市町

萩市

指定


区分

記念物

時代

江戸時代

一般向け説明

  伊藤博文が14歳から28歳までの14年間(1854~1868年、安政元~明治元年)住んだ住居。建坪89.1㎡の茅葺寄棟造平屋建。八畳・五畳半・四畳半・ニ畳・三畳三室・玄関土間・台所土間の各室がある。
  伊藤博文は1841年(天保12)熊毛郡束荷村(現光市)の農家の子として生まれた。のち一家とともに萩に移住。松下村塾に学び、幕末の志士として活躍する。明治維新の後、欧米を巡歴。1871(明治4)帰国後は政治の中心人物として、憲法制定、内閣制度の創設、枢密院設置の任にあたる。1855年(明治18)初代の内閣総理大臣・枢密院議長・貴族院議長を歴任し、政界の最高指導者の座にあった。1909年(明治42)に中国東北部のハルビン駅頭で暗殺された。

小学生向け説明

   伊藤博文は、現在の光市に生まれました。のちに萩市にうつり、14歳だった1854年(安政1)から28歳の1868年(明治1)まで、現在の萩市椿東に住んでいました。このときの家が「伊藤博文旧宅」です。伊藤博文は萩にうつってから松下村塾に学び、幕末には志士として活躍しました。明治に入り、1885年(明治18)にはさいしょの内閣総理大臣となりました。

文化財要録

要録名称

伊藤博文旧宅

指定区分・種類

史跡

指定年月日

昭和7年3月25日(文部省告示第72号)

所在地

萩市大字椿東字新道

所有者

萩市

管理者

萩市←萩町(昭和7年5月26日指定)

地図

画像

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