高杉晋作墓
たかすぎしんさくはか
下関市
国
記念物
江戸時代
奇兵隊本陣のあった下関市吉田の清水山にある。墓は花崗岩で作られており、正面には「東行(とうぎょう)墓」とあり、側面には俗名、没年月などが彫り込んである。墓の高さは 1.8m、周りには石の玉垣がある。墓地内にはこの墓を守った梅處尼(ばいしょに)をはじめ、幕末期に活躍した人の墓が約110基がある。すぐ側に伊藤博文による碑と山縣有朋による碑が建てられている。
高杉晋作は1839年(天保9)に生まれ、幕末の志士として活躍した。号は東行。松下村塾に入門し、久坂玄瑞と共に特に優れた二人といわれた。江戸に出て学び、藩の命令で上海を視察したころから攘夷論の急先鋒となり、帰国後、萩藩の討幕運動を支える奇兵隊を組織した。幕府軍との四境戦争(1866年・慶応2)では連戦連勝の快進撃を続けたが、1867年(慶応3)に病死した。
高杉晋作は1839年(天保9)に生まれ、幕末のころ奇兵隊(武士だけでなく庶民も参加した軍隊)をつくって幕府と戦い、明治維新に大きく貢献しました。高杉晋作は「東行(とうぎょう)」と号したので、墓の正面に「東行墓」とだけあります。この墓は奇兵隊本陣のあった下関市吉田の清水山にあり、すぐそばに伊藤博文と山縣有朋(やまがたありとも)による碑が立っています。
高杉晋作墓
史跡
昭和9年5月1日(文部省告示第181号)
下関市大字吉田字永富
宗教法人 東行庵
下関市←吉田村(昭和9年8月11日指定)
〒753-8501 山口県山口市滝町1-1
Tel:083-933-4666 Fax:083-933-4829
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