村田清風旧宅及び墓
むらたせいふうきゅうたくおよびはか
長門市
国
記念物
江戸時代
村田清風は、幕末期において萩藩の要職を勤め藩政改革を指導した人物。5代の藩主(斉房・斉煕・斉元・斉広・敬親)に仕えて、窮乏する藩財政を再建し、産業を興し、軍備を改善するとともに、人材開発を目ざす藩校明倫館の移転改築など、天保の改革といわれる政策を実施した。
村田清風旧宅は、1783年(天明3)、清風が生まれた家。15歳の萩に移り住むが、1845年(弘化2)以後は再びこの家に戻り1855年(安政2)に病死するまでここで過ごした。旧宅には草葺平屋建の本屋を中心として、米蔵、馬小屋、納屋、湯殿がある。墓はこの旧宅の西約100mの大歳山の麓にあり、墓前に高さ2mの鳥居が立つ。
萩藩士であった村田清風は、江戸時代後期、行き詰まった藩の政治を立て直すため、天保の改革と呼ばれる政策を実施した人物です。
村田清風旧宅は、1783年(天明3)に清風が生まれた家です。15歳の萩に移り住みますが、1845年(弘化2)以後は再びこの家に戻り1855年(安政2)に病死するまでここで過ごしました。墓は、この旧宅西方の山のふもとにあります。
村田清風旧宅及び墓
史跡
昭和16年8月1日(文部省告示第746号)
長門市三隅下字垣頭(旧宅)
〃 字西沢江(墓)
長門市
長門市←三隅町←三隅村(昭和16年10月28日指定)
昭和48年 清風松、松喰虫で枯死。
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