大内氏遺跡附凌雲寺跡
おおうちしいせきつけたりりょううんじあと
山口市
国
記念物
室町時代
室町時代に西日本一帯に強い勢力をほこった大内氏の館と城跡。大内館跡・築山館(つきやまやかた)跡・高嶺(こうのみね)城跡・凌雲寺(りょううんじ)跡からなる。
大内館跡は、大内氏が政務をつかさどった所であり大内氏の栄華を示す遺跡である。発掘調査により庭園跡もみつかっている。現在は竜福寺境内地となっている。
築山館は、大内館の北側にあり、外客接待の迎賓館として使われたとされる。幅 5.4mの堀を巡らし、内側に大きな池を掘り、掘り上げた土で築山を造り林泉の美を誇ったと言われている。現在、その領域内に八坂神社、築山神社がある。
高嶺城は、1556年(弘治2)、毛利氏の来襲に備えて山口盆地を見下ろす鴻峰(こうのみね)に大内義長が築いたことが始まりである。大内氏滅亡後、毛利氏が本格的に築城したが、1615年(元和1)に廃された。
山口市の吉敷川上流の山間部にある凌雲寺は、大内義興が創立した寺である。その総門跡と言われる遺構は寺院としては異例なほど豪壮雄大な石垣などであることから、有事に備えた一種の城塞を兼ねたものであったと考えられている。
「大内氏遺跡」は、室町時代、山口の町を中心に中国地方西部から北九州にかけて大きな力をもった大内氏に関する遺跡の数々です。
「大内館跡(おおうちやかたあと)」は、大内氏の住居の跡です。
「築山館(つきやまやかた)跡」は、客を接待するところとして使われたもので、大内館跡のそばにあります。
「高嶺(こうのみね)城跡」は、1556年(弘治2)に、鴻ノ峰に大内義長(おおうちよしなが)が築きました。
「凌雲寺跡(りょううんじあと)」は、大内義興(おおうちよしおき)が建てた寺で、軍事的施設としての役割も果たしていたと考えられています。
大内氏遺跡附凌雲寺跡
史跡
昭和34年11月27日(文化財保護委員会告示第65号)
山口市 大殿大路(館跡) 上竪小路(築山跡) 上宇野令(高嶺城跡) 中尾(凌雲寺跡)
山口市(昭和40年7月24日指定)
昭和53~56年度 館跡発掘調査
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