大内義隆主従の墓所
おおうちよしたかしゅじゅうのぼしょ
長門市
県
記念物
室町時代
長門市深川湯本の大寧寺の境内地にある大内義隆・義尊父子およびその従者の墓所。
1551年(天文20)、陶晴賢の反逆により山口を追われた大内義隆は、仙崎から海路九州へと逃れようしたが叶わず大寧寺に籠もったが、陶軍の攻撃を受けて9月1日寺内において自刃した。
墓石はいずれも宝篋印塔(ほうきょういんとう。一定の形式をもった供養塔)で、萩石ともいわれる石材で造られている。義隆と義尊の墓石は高さ約1.4㎡。従者の墓は31基、そのうち9柱は墓石がない。1888年(明治21)に毛利元徳によって各墓石のそばに死者の名を刻した標柱が建てられた。大寧寺には大内義隆ほか3基の位牌もある。
室町時代、大内家は山口の町を中心に中国地方西部一帯から九州北部にかけて大きな力をもっていましたが、1551年(天文20)、重臣の陶晴賢(すえはるかた)の謀反にあい、当主の大内義隆は現在の長門市深川湯本にある大寧寺で自ら命を絶ちました。
大寧寺境内には大内義隆・大内義尊父子の墓および家臣の墓31基があります。
大内義隆主従の墓所
史跡
昭和42年7月4日(山口県教育委員会告示第13号)
長門市大字深川湯本205番地の16
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