金銅毘盧舎那仏坐像(寺伝大日如来像)
こんどうびるしゃなぶつざぞう(じでんだいにちにょらい)
防府市
県
有形文化財
鎌倉時代
防府市国分寺の所蔵である。金銅仏で像高は51.6cm。両手はひじをまげ胸前にあげ、左手の第2指をたて、それを右手でにぎる。いわゆる智拳印を結ぶ。衲衣を通肩に着し、胸部を大きく広げている。惣型による一鋳造で、銅厚を薄く鋳出して、鍍金をほどこし、鋳技は巧みである。
高麗時代中期、13世紀後期の作風を伝えているが、高麗仏のわが国における遺存例は西日本を中心に30例余りにすぎない。智拳印を結ぶ毘盧舎那仏は、朝鮮半島においても例が極く限られている。
この仏像は、防府市の国分寺にあります。
金銅仏で、仏像の高さは52cmです。
むかし朝鮮半島にあった高麗(こうらい)という国でつくられたもので、時代は13世紀とおもわれます。
金銅毘盧舎那仏坐像(寺伝大日如来像)
有形文化財(彫刻)
平成1年3月28日
県立山口美術館寄託
宗教法人 国分寺
13世紀後期頃(高麗時代)
【形状、品質、構造】
肉髻をわずかに盛りあげ、切子形の螺髪を後頭部まで丁寧に鋳出する。肉髻珠(木製)・白毫相(銅製)をあらわす。耳朶は貫通しない。三道を盛りあげる。両手は臂をまげて胸前にあげ、左手の第2指をたて、それを右手でにぎる、いわゆる智拳印を結ぶ。衲衣を通肩に着し、胸部を大きく広げ、腹上に裾の上端とくくり紐の結び目をあらわす。衲衣の襟を高く、衣褶はするどくたたむが、膝前の衣褶は簡単なタガネ彫りであらわす。裳先はやや前方に流れる。右足を上にし、足裏を見せて結跏趺座するが、左足先は着衣の内に入れる。
頭・体部を通して銅の惣型による一鋳から成る。頭部・頸部・左右の肩から臂にかけての体内に灰色の中型の土がのこる。目鼻立・衣褶などをタガネで整形し、全体に鍍金を施したものと思われ、顔面・背面の下方・衣褶などに鍍金のあとがのこる。
前面両膝の下方、背面の襟下・裾(膝の両側面)などに鋳くずれによる小穴がある。右足首から左膝地付部にかけて大きい亀裂がある。地付部も鋳くずれが多い。
背面の中央下方に縦10.8cm、横5.6cmの長方形の木片をはめ込んでいる。右膝下および背面地付部近く3か所に鉄釘がのこる。当初底板が張られていたものと思われ、あるいは胎内納入品が奉籠されていた可能性もある。
像高51.6cm 髪際下46.7
頂上~顎16.1 面長10.8
面幅 10.0 耳張り 12.6
面奥 13.8 肩張り 21.1
胸厚 14.5 腹厚 19.6
臂張り 29.3 膝張り37.6
膝高 8.5 膝奥28.0
裳先奥 29.1 像底部の厚さ 0.6~0.2
(1)毘盧舎那仏とは…
略して盧舎那仏ともいう。盧舎那仏とは光明遍照を意味し、盧舎那仏は万物を照らす宇宙的存在としての仏陀の名であり、華厳経の教主である。
(2)伝来
応永24年(1417)4月、国分寺堂塔伽藍焼亡以来再建されなかった五重塔に安置されていたとの伝承があるが、史料的には正徳4年(1714)12月の「防州国分寺記録」の「一、金堂 薬師如来 日光菩薩 月光菩薩 十二神将 四天王 大日如来 阿如来 宝勝如来 阿弥陀如来 釈迦如来」という記事より溯ることができない。
今日は、金堂須弥壇の裏側に五智如来の一つとして、阿弥陀・阿・薬師・宝生の各如来(いずれも木造の坐像で江戸時代の製作)と並んでその中央に安置される。
国分寺は中世以来、奈良西大寺の末で真言律宗であったが、明治からは高野山別格本山となり真言宗であり、本件は大日如来としてあつかわれて来ている。
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