物見山経塚出土品
ものみやまきょうづかしゅつどひん
山陽小野田市
県
有形文化財
平安時代
この出土品は、1965年(昭和40)山陽町の物見山頂上付近で発見された。出土状況は不明であるが経塚の埋納品と考えられる。遺物には銅経筒1口、紙本墨書法華経8巻、鉄刀1口などがある。銅経筒は鋳銅製で総高30㎝。蓋の上部に宝塔形のつまみがあるのが特徴である。類例が簡略化されるのに対し工芸的に優れている。本出土品は、平安時代後期に製作されたものと思われ、山口県域の経塚の特色をとらえる上で貴重である。
この出土品は、1965年に物見山の頂上付近で中学生により発見されました。お経を写して筒に入れて埋めた経塚の出土品と考えられています。出土品は次の通りです。
・銅経筒1:銅製で高さ30㎝。
・かめ破片(1)・お経8巻・鉄刀1・鉄短刀
出土品は今から1000年~1100年前の平安時代のものと考えられています。山口県域の経塚の特色をとらえる上で貴重なものです。
物見山経塚出土品
銅経筒
陶外筒残欠
甕残欠
紙本墨書法華経(8巻)
鉄刀
鉄刀子残欠
有形文化財(考古資料)
平成1年10月24日
山陽小野田市大字鴨庄109番地
(山陽小野田市立厚狭図書館保管)
文化庁
平安時代後期
不明
〇昭和40年2月28日 物見山で遊んでいた中学生によって発見された。発見地は丘頂平坦部東縁の東斜面。出土品は山陽小野田市立厚狭図書館に保管される。
〇昭和48年3月 出土地点に標柱を設ける。
〇昭和50年5月27日 町指定文化財とする。
〇昭和52年4月 出土地点の発掘調査を実施する。この結果、出土地点には経塚の痕跡は認められず、本来物見山頂上部付近にあった経塚からの出土品が当地点に二次的に埋置され、それがたまたま発見されたものであることがわかった。
(1)銅経筒(別添実測図参照)
総高 30.1cm
筒身高 19.4cm
同口径 5.2cm
同厚 0.15cm
蓋高 11.0cm(蓋3.5cm、鈕7.5cm)
同口径 5.6cm
同厚 0.2cm
銅鋳製。宝塔形鈕を持つ甲盛の被せ蓋と細身の円筒形の筒身からなる経筒である。宝塔形鈕は、蓋とは別に鋳造したもので、塔身部分の高さは2.3cm、平面プランは径2.0cmの円形で肩の部分はやや膨らんでいる。また、塔身の四方を削り落とし、四つの扉が開かれた形を見せている。笠は一辺1.9cmの方形のものが重層をなし、笠の上には笠の対角線方向に外反する細長い受花を各1枚鋳付けているが、1枚は欠落し鋳付けの痕跡である凹みを残している。総輪部の高さは4.1cmで、九輪を簡略化し三輪を配し、宝珠に当たる部分は四面に刻み込みを入れた四角錐の形にしている。
筒身は円筒形で平底、筒身高に対して口径が小さく細身のスマートな姿を持つ。また、鋳継ぎは無く、筒身は一鋳と思われる。全面に白い錆が出ており、全体の色調は灰緑色を呈している。
銘文は見出されていない。
(2)陶外筒残欠
粗製の瓦質土器で、底部のみ残存しており、全体の器形をうかがい知ることはできない。底部は径11.1cm、器壁の厚さは1cm。胎土はやや粗にして5mm程度の砂礫をまばらに含んでいる。色調は内外面ともに灰黒色を呈しており胎土は茶褐色である。外面には不定方向に擦痕が残り、叩き目などの痕跡は無い。
内側の底の部分には経筒底部の緑青痕が円形に付着しており、以前に経筒がこの容器の中に立てられていたことを示している。
(3)甕残欠
胴部の大きく膨らむ甕形土器の破片27点である。胎土は比較的精製されており細かい砂粒を含んでいる。外面には条痕状の叩き目が残り、内面の円形のあて具の跡は丹念に擦り消されている。色調は内外面とも黒褐色を呈しており胎土は黄橙色である。
(4)紙本墨書法華経
淡黄色のやや薄手の料紙(楮紙)を接ぎ継ぎにしたものに妙法蓮華経八巻二十八品が書写されている。発見時筒身上部の破損孔からの湿気と泥土により巻末から巻かれた経文の外側が腐食、残っている部分も破損孔に当たる部分より上が損耗し、接ぎ継ぎ部分も多くは糊がはがれ30の紙片に分かれていたという。これを継ぎ合わせると、「薬草喩品第五 巻三」より以後は上部を約三分の一欠くものの、「普賢菩薩勧発品第二十八 巻八」まで復元でき、この残存部分の長さは約17mである。
料紙の紙幅は多くが56~58cmであるが、「見宝塔品第十一」と「奉仕功徳品第十九の末尾には各7.0と7.5cmの切紙を継ぎ、経巻の巻末にも17.5cmばかりのものを継いで写経を終えている。
料紙の天地幅は14~15cmほど残っているが、経筒の内法の空間から推して本来は21~21.5cmの長さであったらしい。残存部分に残る文字は、散文を書写している所でおよそ11~12字、偈文の部分では14~15字が判読されるが、本来の長さから推すと散文17字詰、偈文四段20字詰に復元でき、古来からの原則に従って写経されたものと思われる。なお、界線は無い。
書体は楷書であるが、達筆とはいいがたい。散文の部分で終わりの文字が1字ないし2字分不揃いになっているものが多く、比較的整然とした文字と乱雑気味の文字の繰り返しが認められる。書風は全体として共通しているものの、書風が若干変わる部分もあり、書写が複数の手になる可能性もある。
この写経文には奥書は存在しない。また、巻首部分を欠いており、願文なども見出されていない。
(5)鉄刀
茎の一部が欠損しており、残存部分の長さは45cmを計る。錆の進行により腐食しており全体の造りは不明であるが、刀身は長さ38.8cmで先端にやや反りを持ち、両面に棒樋が認められる。関は両関式。茎は残存長約7cmで、目釘孔は錆のため確認できない。刀身は鞘に納められていたと見られ、刀身の一部に木質の付着が認められる。
(6)鉄刀子残欠
刀身の大部分が欠損しており、残存長約7.5cmを計る。錆の進行により腐食しており全体の造りは不明であるが、背側に関を有す片関式で、刀身は長さ4.2cmで幅2.0cm、茎は長さ3.3cmで幅1.2cmを計る。
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