板絵着色繋馬図
いたえちゃくしょくけいまず
下関市
県
有形文化財
室町時代
下関市の住吉神社に所蔵されている。
桧材の板面に描かれていて、寸法は各縦43.5cm、横59cmである。ともにうまやに繋がれる馬が描かれ、一つは頭を下げてわらを食む馬、他方は頭を上げて立つ馬。ともに「雲渓筆」という署名がある。彩色のはがれがひどく、原彩色を認めることはむつかしいが、墨描線はわりとよく残っている。雲渓の生没年ははっきりしないが、雪舟流をうけついだ天文年間(1532~1554)の画家である。雲渓の絵は、萩の東光寺に釈迦三尊、山口の善正寺の内藤興盛像(今はその写しが残る)などが知られ、周防で活躍したとわかる。この額も16世紀の制作であると考えてよく、県下では最も古い絵馬である。
下関市の住吉神社にあります。
ヒノキの板に描かれていて、寸法はそれぞれ、たて44cm、横59cmです。
うまやに繋がれ、一方は頭をさげてわらを食む馬、他方は頭を上げて立つ馬が描かれています。
ともに「雲渓(うんけい)筆」という署名があります。雲渓は、生没年ははっきりしませんが、室町時代の終わりごろに活躍した画家です。雲渓の絵は、萩の東光寺の釈迦三尊などが知られ、周防(すおう)で活躍したことがわかります。
山口県ではもっとも古い絵馬です。
板絵着色繋馬図
有形文化財(絵画)
平成2年11月6日
下関市一の宮住吉1丁目11番地の2(住吉神社)
宗教法人 住吉神社
16世紀
雲渓永怡
「住吉・忌宮神社由緒調書 学務兵事課」(明治~大正期の作成、県庁<戦前>文書、山口県文書館蔵)の中の「官幣中社長門國住吉神社調書」の古器物記載事項に以下のように記載がある。
「一、絵馬額 二面
彩色剥落シテ僅ニ繋馬ノ形ヲ存ス
年月並寄附人不詳落款ニ雲溪筆トアリ」
(品質・形状)
檜材の板面に彩画される。縦材2枚と天地の端食材(横材、ただし、藁をはむ図の方は天部の端食材欠失)は、それぞれ角釘ではぎ合わされ、裏面は、鎗鉋仕上げが施される。両面とも節が多散見され、ひび割れが目立ち、焼損と思われる箇所も認められる。また、下部に摩損もある。左右に釘穴があり、従前は懸けられていたことを示す。
ともに厩に繋がれる馬を描く。一つは、頭を下げて藁をはむ斑文様の馬。他方は、頭を上げて立つ斑なしの馬。ともに「雲溪筆」の署名がある。彩色の剥落が顕著で、原彩色を確認することはむつかしいが、墨描線は比較的によくのこる。
各縦43.5cm、横59cm、厚さ1.3cm
・雲溪永怡(生没年不詳)
山口県内には萩市東光寺の絹本着色釈迦三尊図(「永怡」の捺印あり、県指定有形文化財、昭和53年12月22日指定)や雲溪が描いた大内氏の重臣内藤興盛像をのちの享和2年(1802)に雲谷等竺が模写したもの(山口市善正寺蔵)とこの絵馬が雲溪の作品として知られる。
「こうしたことから雲溪が周防で活躍したことは確実であり、その時期も『本朝画史』がにおわせるように天文年間(1532~1554)頃と考えてよい。」
(山口県立美術館主催『大内文化の遺宝展』図録の解説より)
※内藤興盛(1494~1554)
内藤家は、守護大名大内氏の時代に代々長門守護代をつとめた家柄。大内義隆のとき軍評定衆となり、天文20年(1551)陶晴賢の叛乱に味方し、擁立の義長につかえる。天文23年5月に没し、山口の善正寺に葬られる。同寺に位牌及び墓がある。
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