長光寺山古墳
ちょうこうじやまこふん
山陽小野田市
県
記念物
古墳時代
長光寺山古墳は、山陽小野田市の厚狭盆地の南縁にある通称長光寺山の丘の頂上部にある前方後円墳。ニ基の竪穴式石室には、長大な樹木の幹を縦にニつ割りにして中をくりぬいて蓋と身とした割竹形木棺があったものと推定されている。
1881年(明治14)地元の人によって石室が発見され、後の発掘調査によって、埴輪のある前方後円墳であることや石室の規模、構造などが明らかになった。墳の形は東南方向を正面とする古式の前方後円墳。全長は約58m。後円部の径約37m、高さ約6m。前方部先端の幅約26m、高さ約4m。後円部の頂上は削られている。ニ基の竪穴式石室は墳丘の主軸の方向に並行してあり、土を盛った跡を残している。この古墳から副葬品として、鏡、鍬形石、巴形石製品、筒形銅器、鉄器などが出土した。
4世紀後半に造られたものと推定され、山口県内における代表的な前方後円墳の一つ。
長光寺山古墳は、山陽小野田市の通称「長光寺山」の頂上にある前方後円墳です。
ニ基の竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)には、長く大きな樹木の幹を縦にニつ割りにして中をくりぬいた割竹形木棺(わりたけがたもっかん)がありました。
4世紀の後半につくられたものと考えられています。
山口県内における前方後円墳の代表的なものの一つです。
長光寺山古墳
史跡
平成3年4月5日
山陽小野田市大字郡字弥ケ迫 697番地の1、698番地の1、698番地の2、698番地の15
厚狭盆地を見下ろす標高約60mの丘陵頂部に位置する前方後円墳。明治14年(1881)、地元民により石室が発見され、鏡・鍬形石・筒形銅器・巴形石製品・鉄器等が出土した。大正15年(1926)、小川五郎らによる発掘調査がなされ、並存する2基の竪穴式石室を確認した。昭和46年(1971)、小野忠■らによる発掘調査によって、埴輪を伴う前方後円墳であることや石室の規模・構造等を明らかにした。
墳丘はほぼ原状をとどめており、前方部を南西に向ける。後円部墳頂に墳丘の主軸にほぼ平行して2基の竪穴式石室が並列して築かれている。西石室は墳頂の中央に、東石室はやや東寄りに位置する。いずれも割竹形木棺が埋置されていたものと推定される。後円部墳頂には円筒埴輪や家形埴輪及び供献土師器が認められている。
墳丘
全長 約58m、
後円部径 約38m、高さ約5m
前方部幅 約26m、高さ約4m
竪穴式石室
西石室 長さ6.85m、幅1.1m、現存高約0.6m
東石室 長さ5.7m、幅0.9m、現存高約0.45m
副葬品
三角縁神獣鏡3面、内行花文鏡1面、鍬形石1個、巴形石製品1個、筒形銅器1個、鉄剣、鉄刀・鉄鏃・鉄銛など。
4世紀後半代に築造されたものと推定され、県内における代表的な前方後円墳の一つである。
なお、副葬品等出土遺物については、昭和51年3月16日、「長光寺山古墳出土品」として県の有形文化財(考古資料)に指定されている。
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