紙本墨画白衣観音図
しほんぼくがびゃくいかんのんず
下関市
県
有形文化財
室町時代
下関市豊浦町川棚の三恵寺に所蔵されている。本紙の寸法は縦85.0cm、横33.3cm。掛幅装である。
岩塊の上に、向かって左向きに端座する白衣観音を画面中央に描く。頭上に樹木を描き、つるが垂れさがっている。画面上部に怡雲寂誾(いうんじゃくぎん)の賛がある。画家の名はわからない。
賛を書いた怡雲は、14世紀半ば過ぎ、周防の武家伊藤家から京都の東福寺に入って書記を勤めた禅僧で、中国にも留学を果たし、後年帰郷。応永21年(1414)の年号をもつ、京都神護寺蔵の将軍足利義持の画像にも賛をしている。なお三恵寺の寺伝では、出身は内日で、三恵寺を中興したという。
賛の丁酉は室町時代の1417年(応永24)に当る。
下関市豊浦町の三恵寺(さんねいじ)にあります。
寸法はたて85cm、横33cmです。
白衣観音を中央に、その頭上に樹木を描き、つるが垂れさがっています。
この画には怡雲(いうん)の賛があります。画いた人はわかりませんが、賛を書いた怡雲は、1300年代のなかばすぎ、周防国(すおうのくに)の武家である伊藤家から京都の東福寺に入って書記をつとめた禅僧で、中国にも留学しのちに帰郷しました。
紙本墨画白衣観音図
怡雲寂誾の賛がある
有形文化財(絵画)
平成5年5月14日
下関市豊浦町大字川棚5000番地
宗教法人 三恵寺
室町時代、着賛の丁酉は応永24年(1417)
賛は怡雲寂誾、絵は不明
○三恵寺 真言宗御室派。山号は飛来山。延暦年中(800年前後)奈良東大寺の3世実忠和尚が創建したという伝承があり、怡雲寂誾は、中興の祖として数々の伝説を残し、その一つに川棚温泉発掘がある。
【寸法】
本紙の縦85.0cm、横33.3cm、紙継ぎなし
【品質、形状】
紙本墨画、掛幅装
懸崖にとび出した岩塊の上に、向かって左向きに端座する白衣観音を画面中央に画く。頭上に樹木を描きが蔓が垂れ下がる。
観音は、頭髪を除き穏やかな肥痩のある速筆の墨線のみで描かれ、肉身や衣の質感への配慮はない。
懸崖・岩塊は、没骨描により表わし、岩肌は焦墨で表現する。ところどころに点苔を落とす。懸崖からのびる樹木の幹枝は濃墨、葉は淡墨でそれぞれ描き、これにまとわりつく蔓は速筆で一気に表現する。
画面左上部に下記のような賛文が左から右へ4行にわたって墨書されるほか、①関防印(印文不明・白文長方印)、賛文末に②印「寂誾」(白文方印)、③印「怡雲」(朱文方印)の2顆が捺される。
「 (印②)(印③)
巌上 丁酉春季 飛来怡雲社多焚盥拜題
我今心念目想家々穐月光明山中處々春風白華
一慈心下合一切生同一悲仰鼓虚空舌難盡贊揚是故
稽首八萬□□之相示現三十二身之像与一切佛同
(印①) 」
◎白衣観音
白衣をつけた胎蔵界観音院の一尊。三十三身に変化して衆生の種々の苦悩を解消するものとして、清浄な白衣をまとい、俗塵を離れて山中に瞑想する姿は、禅僧の隠遁思想を体現した仏として尊重され、14世紀頃の初期水墨画においてよく制作された。
◎怡雲寂誾
14世紀半ば過ぎ、周防の武家伊藤氏から京都の臨済宗東福寺(1235年の創建、京都五山に列す)に入って書記を勤めた禅僧で、中国にも留学を果たし、後年帰郷。応永21年(1414)の年紀をもつ京都・神護寺蔵の4代将軍足利義持像(重要文化財、絹本着色、掛幅装、縦116.8cm、横59cm)の賛者でもある。なお、寺伝では、出身を長門内日(現下関市)とし、三恵寺を中興したとする。
納箱の墨書 ○蓋表「中興怡雲和尚自繪自讃観世音」
○蓋裏(後筆)「川棚温泉開基真言宗三恵寺 中興怡雲和尚自繪自讃観世音像壱幅入之箱」
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