金銅如来形坐像(寺伝釈迦如来像)
こんどうにょらいぎょうざぞう
岩国市
県
有形文化財
鎌倉時代
岩国市洞泉寺の所蔵である。像高は66.5cm、膝張りは49.4cm。右足を上にして坐す銅像の如来形坐像である。胴体部に比し大振りな頭部をやや前方に傾かす。ひも状の大きな耳、大きくふくらみをもつまぶたと切長の目、鼻筋が通る。爪を長くのばしている。白毫(びゃくごう)は水晶製。頭体部を惣型による一鋳造で造られているものと考えられ、鍍金の痕跡をとどめる。鋳損じもなく、胎内の中型土も上手に除去され、鋳造技術は良好である。朝鮮半島、14世紀初期頃、つまり高麗時代後期の制作と考えられる。県下に伝わる高麗仏4例の中の貴重な一例である。
この仏像は、岩国市洞泉寺にあります。仏像の高さは66.5cm、膝張りは49.4cm。朝鮮半島にあった高麗という国で、14世紀につくられたものとおもわれます。
金銅如来形坐像(寺伝釈迦如来像)
有形文化財(彫刻)
平成10年12月4日
岩国市横山1丁目10番31号
宗教法人 洞泉寺
14世紀初期(高麗時代後期)頃
(形状、品質)
右手を胸前にあげ、左手を膝上に差しのべ、ともに第1・3指を捻じ、右足を上に結跏趺坐する。肉髻部と地髪部を明確に区別せずにゆるやかに盛り上げた頭部には螺髪を整然とつくり、髪際線は少したるみをもつ。白毫は水晶製、肉髻朱は不鮮明。紐状の大きな耳、大きくふくらみをもつ瞼と切長の目、鼻筋がよく通る。頸部に三道をあらわす。指は全てその爪を長くのばす。体部には通肩に法衣を着け、U字状に広く開いた胸部に裙の上端縁飾りと裙を締めた紐の結び目をのぞかせ、紐の一部が法衣の上に垂れている。胴体部に比し大ぶりな頭部をやや前方に傾がす。
頭体部を惣型による銅の一鋳造で造っているものと考えられ、銅厚は像底部で0.7~1.5cm、像内の中型土は上手に除去され、鋳造技術は良好である。随所に僅かではあるが、鍍金の痕跡が認められる。
地着部周辺に4つの円孔と1つの方形孔(左膝前部)がうがたれている。これは、底板がはられていたことを窺わせるが、そうすると像内に納入品が納まっていたことを示唆する。
(法量)
(単位:cm)
像高 66.5 髪際下 57.2
頂上~顎 24.6 面長 16.4
面幅 14.6 耳張り 16.7
面奥 20.2 肩張り 23.5
胸厚 17.3 腹厚 19.3
臂張り 37.6 膝張り 49.4
膝高 右11.9 左11.0 膝奥36.3
裳先奥 12.3 像底部の奥行 41.0
伝来と洞泉寺
『防長寺社由来』(山口県文書館蔵)の横山・洞泉寺の項(昭和61年<1986>同館翻刻・第7巻)に、「一本尊釈迦 鉄佛 作不知」とあるのが、本像に係る唯一の歴史的記述である。したがって、本像が、いつ如何なる経緯で洞泉寺に伝来したかは不詳であり、伝承もない。なお、本像は、この記述通り釈迦如来として信仰されて来ている。
また、洞泉寺(旧洞仙寺)は、山号を盤目山といい、曹洞宗、宝徳2年(1450)開基の吉川氏の菩提寺である。本来、芸州新庄(広島県山県郡大朝町)に寺地があったが、吉川氏の岩国移封に伴い、慶長8年(1603)現在地に移建され、岩国領5か寺の筆頭に位置した。
洞泉寺の寺宝に景泰5年(1453)銘の「少林軒記」1幅(紙本墨書)がある。当寺の3世大規(博多の聖福寺で剃髪、永正10年<1513>没)が、景泰4年入明した翌年帰国したが、明に滞在中、禅学への専心ぶりを讃えられ普陀山で授与されたものである。
さらに、財団法人吉川報效会(旧所有者は吉川家)が所有する重要文化財「元享釈書」(吉川経基筆、昭和34年12月18日指定)15冊は、もと洞泉寺が所有していたもので、明治になってから吉川家に納められている。
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