木造薬師如来坐像(金堂安置)
もくぞうやくしにょらいざぞう(こんどうあんち)
防府市
国
重要文化財
室町時代
防府市国分寺の本尊である。桧材の寄木造りで、像高は195.1cm、膝張りは161.3cm。左手に薬壺をのせた薬師如来像で、蓮華座の上に坐する。奈良時代この地に創建された国分寺は、1417年(応永24)に焼亡し、ときの周防国守護大内盛見によって再造営が果された。この時に制作されたのが当像で、四角張った猫背の体型、着衣には大振りで概念的な衣文が刻まれるなど室町時代の特色を示している。制作者は不明である。光背は高さ329.9cm、台座は高さ162.3cmであるが、共に制作当初のもので、本像を含め一式が良好に保存されていることは貴重である。室町時代の大作は全国的にみても数少なく、本像は中国地方に於ける代表的遺品といえる。
附指定の仏手は、本像の移動によって胎内から発見されたもので、桧材で全長は64.6cmある。応永の火災のとき罹災した本尊のものと伝えられ、前身像が一回り大きい丈六の法量をもち、かつ薬壺を持たない古式の薬師像であったことがわかる。
防府市にある国分寺の本尊です。
ヒノキ材の寄木造り(よせぎづくり)で、像の高さは195.1cm、膝張りは161.3cm。
室町時代の1417年国分寺が焼け、大内盛見(おおうちもりはる)によって再建されたときにつくられた仏像です。
木造薬師如来坐像(金堂安置)
附 木造仏手
彫刻
平成11年6月7日
防府市国分寺町2-67
山口県 国分寺
室町時代
「附 木造仏手」
平安時代
(一)国分寺(浄瑠璃山、高野山真言宗)本尊として金堂須弥壇中央に安置される。
(二)国分寺は応永二十四年(一四一七)に火災に遭い本尊像が灰燼に帰したのち、大内盛見によって再興が行われ本尊が造立された(「周防国分寺勧進帳」ほか)。「再建修補年代書付」は本堂再建を同二十八年としている。
(三)国分寺は正中二年(一三二五)より正徳二年(一三三〇)までに鎌倉極楽寺長老俊海らによって復興され(『周防国分寺文書』)、以後律院となった。「西大寺諸国末寺帳」にも名がみえる。
(四)仏手納入箱の蓋裏墨書及び「防州国分寺記録」(『周防国分寺文書』)によれば元禄十二年(一六九九)に日光月光菩薩像や四天王像と併せて修理が行われている。持物薬壺およびこれに納入された五輪塔には同年の年紀が記されており、これらは同修理等の後補とみられる。
「附 木造仏手」
木製箱に納められ、像内に納入されていた。
(箱蓋裏墨書)
薬師如来日光菩薩月光菩薩十二神将四天王阿弥陀如来塔姿之四佛\ 大日如来巳上金堂之分不動明王金迦羅勢多迦十二天巳上護摩堂之分
尺迦文殊普賢阿弥陀如来聖徳太子巳上方丈之分不動明王多聞天
巳上宝壽院之分二王山門之分都合四十九躰也
上古丈六本尊之御手 行基菩薩之御作
右者国君大江朝臣吉廣卿因宿願如法清浄修覆成就畢
于時元禄十二龍集巳卯十月十二日従草創至令歳既得九百六十四年乎
周防之府佐波郡浄瑠璃山国分律寺従中興三十四世住持沙門南渓照空 生年
六十六
今時雖為閑居依祈主録之
※追納紙片に天保二年(一八三一)に開見した旨の墨書がある。
本躰 檜材、寄木造、錆下地漆箔、玉眼
頭躰は別材製。頭部は正面(左右二材)、両側面(各一材で耳まで彫出。側面材との間にマチ材を挟む)、背面(左右四材)を箱組み式に寄せ、内髻一材(横木)を被せる。頸部正面一材(下端は胸上部に及び水平に裁ち切られる)、背面は後頭部より続く四材より造る。躰幹部は正・背面各一材(腰高で左右各一本の横桟で繋ぐ。正面材は全面中央下端に像心束を造り出す)に両肩上面をなす各一材(横木)を挟む。左肩外側部は正・背・側面及び上面(横木)各一材を箱組み式に寄せ、左袖口上面を含む前膊一材、左手首先一材(差込矧)。右肩外側部は地付まで前後二材製で前方材は袖を含む右前膊後半まで造り出し、これに袖口まで含む右前膊前半一材を矧ぎ、右手首先を差込矧とする。両足部は上面前後二材、見付一材、左側面前後二材、右側面一材を箱組み式に寄せ、上面から見付にかかる中央の凹部は裏から一材を当て厚みを増して彫り込む。裙先一材矧。表面は肉身部及び衣部を漆箔、頭部を緑とし、髪際及び口唇に朱を置く。髭を描く。像内は頭部素地、躰部黒漆塗とする。
持物約壺(高一九.五センチメートル)は平面十二方入隅円形、基部荷葉形。口から内部を刳抜き蓋を別材製とする。表面白下地群青彩、内部及び荷葉、蓋のつまみ及び裏面は漆箔。内部に木製五輪塔(高さ七.一センチメートル。檜材製。各重は別材より造り空輪より順次白(青味)・墨・朱・白(黄味)を素地彩色し地輪には銀箔の上に金箔を置く。地輪上面に納入品を籠める)ならびに絹製袋(三角形の絹二枚の各辺を縫合わせる。長辺の長さ四六.〇センチメートル。内部に薬を籠める)を納入する。
光背 檜材製、錆下地漆箔及彩色、金泥
二重円相部は頭・身光を通して左右六材矧で、八葉蓮華は別材矧(蓮肉材の周囲に蘂を含む蓮弁を八方矧寄せ)。光脚は身光円相中央四材の両端にこれと同じ厚さの各一材を矧ぎ、正面・背面よりこれに両端の輪郭を揃えた各一材を当てる。周縁部は各区別材で化仏・飛天・迦陵頻迦塔は各別材製。身光圏帯内区は白色、化仏等の肉身は金泥、髪は青、白眼は白、瞳は黒、口唇は朱。他は漆箔。化仏等の宝冠・頭飾・冠 ・胸飾は銅製。
台座 檜材製、錆下地漆箔及漆塗
仰蓮天板は左右六材矧で中央に心棒用の丸孔、後端に左右各一箇コの字形の欠込みを切る。各蓮弁中央の宝珠は周囲の火焔及座を含み別材貼付。敷茄子は桶状に八方一六材(各方縦二材)を矧ぎ周囲に薄材八材を貼り形を球状に整える。受座は前半・後半が各内外二材で中間左右に各内外二~三材を挟む。反花は八方矧寄せ、蛤座・上框は各八方矧寄せでうち左右側にあたる二辺は各中心線で左右二材を矧ぐ。下框は八方矧寄せ。敷茄子及び反花以下はそれぞれ内部で桟を井桁に組む。表面は受座・上框の各上面を朱漆塗、下框を黒漆塗とし、他は漆箔。
「附 木造仏手」
檜材製、錆下地漆箔
木心を掌側に外した一材より彫出し、第四指の第二関節より先に別材を矧ぐ。
形状
本躰
螺髪旋毛形(彫出)、髪際正面中央に入りをつくる。耳朶貫通・肉髻珠(木製)・白毫(水晶製)・三道を表す。内衣(正面腹部辺に表れる)・覆肩衣(右脇腹で大衣上端にたくし込む)・大衣(左肩から背面を覆い、右肩にわずかに掛け右腋から正面を覆い末端は左肩で折返す。腹部左寄りで上端より一重目が引き出される。下端は左脛に舌状に懸かる)・裙(両足先をくるむ)を各著ける。左腕は屈臂し膝上で掌を仰げて第四指を屈し第三指を添わせ薬壺を戴せる。右腕は屈臂し掌を前に向けて立て、第三・四指をわずかに屈する。正面し背筋を少し屈め、左足を上にして決跏趺坐する。
光背
二重円相光
頭光 中心八葉蓮華、内より蓮肉・蘂・蓮弁(複弁八方一段、各弁両端が巻き込む。)界線、紐二条。圏帯無文。縁、紐・連珠・紐・列弁。下端は身光内縁上端に接する。
身光 中心刳抜き。圏帯は内区、無文。界線、紐二条。外区、無文。縁、紐・連珠・紐・列弁。
光脚 蓮弁五弁二段。各弁の縁は対葉形、中心は上方に立ち上がる宝相華葉(中央分のみ根元に半切花をあしらう)をそれぞれ浮彫とし、各弁間に蘂を表す。基部、無文帯を紐で括る。
周縁部 身光分は左右とも下端より翻転して立ち上がる花葉の上に迦陵頻伽(各双髻を結い、天冠台及び宝冠・宝・胸飾をつけ、裾・天衣を各著ける。ともに躰をやや内側に向け、左方分は両足を揃え、右方分は胸前で合掌し右足を踏み出して立つ。尾が外側に大きく立ち上がり外縁を形成する)を配する。頭光分は五区に分け、中央の一区には胎蔵界大日如来像(宝冠を戴き、条帛・裙を各著け、冠をつけ、腹前で右手を上にして法界定印を結び、右足を上にして結跏趺坐する。頭光、円光。台座、仰蓮)を、他の四区にはそれぞれ飛天(いずれも髻を結い、頭飾・冠・胸飾を各つけ、裙・天衣を各著け、頭部を内側に向け躰を弓なりに、足先を上にして飛ぶ。顔に笑みを浮かべ、左上・右下像は開口、左下・右上像は閉口。左上像は右手に花器、右上像は右手に鼓をそれぞれ捧げ持つ)を配し、余白は雲気文及び翻転する天衣・元結紐によって充填される。
台座
蓮華七重座 上より仰蓮・敷茄子・受座・反花・蛤座・上下框
仰蓮は十六方六段魚鱗葺。各弁は弁脈(太紐と稜線を交互に並べる)を彫出し中心に上から三段目までは宝珠、四~六段目では三宝(各花葉上に据え、周囲に火焔を巡らす)を表す。敷茄子は平面円形で正面に格狭間(中心輪宝)を浮彫で表す。受座以下は平面八角形で反花は複弁十六弁(上段分の各先端花形)。上下框は背面の出を蛤座に揃えて裁ち落とした形とする。
修補損傷等
本躰 内髻珠、白亳、玉眼、肉身部の漆箔、持物 後補
光背 飛天左下像の左臂より先、同右上像の右臂より先、迦陵頻伽左方像の両臂より先 亡失
台座 敷茄子表面の薄材、下框 後補
「附 木造仏手」
左の手首先で、掌を開き第四指を屈し、他指を延ばす。各指の間に曼網目を表す。
「附 木造仏手」
第二指の第二関節より先 後補。第四指爪に打痕があり表面補修される。
本躰造高 一九五.一センチメートル(六尺四寸三分)
光背 高 三二九.九センチメートル(一丈八寸八分)
台座 高 一六二.三センチメートル(五尺三寸五分)
その他の法量 (単位センチメートル)
本躰 髪際高一六六.四 頂-顎六五.五 面長四〇.七 面幅四〇.五 耳張五一.二 面奥四八.六 胸奥五八.六 腹奥六七.五 臂張一二〇.〇 膝張一六一.三
膝高(左)二九.三 同(右)三一.〇 膝奥一一四.六
光背 二重円相高二二二.九 頭光径一〇〇.〇 身光径一六五.二 光脚張一六五.八 周縁部張二四一.〇
台座 仰蓮高七五.八 敷茄子二四.一 受座高六.八 同張一六五.二
反花高一五.二
同張二一〇.五 蛤座高一一.二 同張二三九.四 上框高一五.二 同張二七五.二
下框高一四.〇 同張三〇〇.五
「附 木造仏手」
全長六四.六センチメートル(二尺一寸三分)
(一)持物薬壺蓋裏面墨書
修理畢
元禄十二己卯戴
十月十二日
(二)持物薬壺納入五輪塔底面墨書
元禄十二
己卯
(三)台座敷茄子内面に墨描の落書(人物像と木瓜形花飾)がある。
(一)「再建修補年代書付」(『周防国分寺文書』)
応永二十八辛丑年当寺本堂再建/大内修理太夫多々良朝臣国清寺徳雄禅定門再建/従応永二十八年辛丑年至天明五乙巳年三百六十五年(後略)
(二)「周防国分寺勧進帳」(文亀三年、『周防国分寺文書』)
(前略)粤去応永廿四年首夏天、不図仏閣僧房類令炎上、本尊聖者廼成灰燼訖、是以為再興檀越大内徳雄禅定門、造立本尊営作諸坊給、故倍備神明法楽、更致国家鎮護之所也(後略)
(三)「防州国分寺修復記録」(『周防国分寺文書』)所収 棟札写
奉建立周防金光明四天王護国之寺本堂一宇/奉為 金輪聖皇天長地久宝祚安泰殊大檀越/国主大江朝臣秀就長子千世熊丸武運長久祈也/寛永十九歳九月吉祥日住持沙門英照上人誌之(中略)右国分寺伽藍者聖武皇帝本願行基菩薩開山之精舎也、以前破滅之時者遂奏聞請院宣公武奉加兼都鄙以助縁再造ス、当寺建立年代天平九年与禁裏弘仁格在、然共応永廿四年初夏不図焼失七堂本尊坊舎迄悉消滅、其比当国守護大内徳雄禅定門本堂并本尊仁王門鎮守其外権現堂/藪護法石事、古池ニ而天神御座在、故此石者即時夭云、舎利殿仁王門ヲ入禅光地蔵両門間在、塔段向也、仁王門東西破風軒之下ノ大石昔ノ門柱石也、昔之本尊応永兵火炎上御手取出今本尊在御身中仁、(後略)
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