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文化財の概要

文化財名称

瀬田八幡宮本殿

文化財名称(よみがな)

せたはちまんぐうほんでん

市町

和木町

指定


区分

有形文化財

時代

江戸時代

一般向け説明

 瀬田八幡宮は和木町瀬田に鎮座の氏神社である。現在の本殿は、棟札によると、1715年(正徳5)に、吉川経永の命で建立されたものである。桁行4.06m、梁間3.97mの前室付き三間社流造りで、一間の向拝が付く。銅板葺きである。全体に装飾的要素が少なく、とくに妻飾りを豕叉首(いのこさす)とするなど、古形式をとどめている。細部の絵様も控えめで、虹梁の渦や若葉は細く張りのある線をもつ。このように、古くからの神社建築様式を継承し、しかも棟札により年代の確実な、18世紀初頭の神社建築は、県下でも数少なく貴重である。

小学生向け説明

 瀬田八幡宮は和木町にある神社です。この本殿は、江戸時代の1715年に、吉川経永によって建立されたものです。
 この建物は、むかしからの神社の建築様式をうけついでいます。そのうえ、そのころに建てられた神社の建物は、山口県内においては数が少なく、貴重なものです。

文化財要録

要録名称

瀬田八幡宮本殿  1棟
  付 棟札1枚  

指定区分・種類

有形文化財 建造物

指定年月日

平成10年4月14日

所在地

玖珂郡和木町大字瀬田1番地9

所有者

宗教法人瀬田八幡宮

制作等の年代又は時代

正徳5年(1715年)9月

製作者

大工大屋嘉左衛門知真

由来及び沿革

 瀬田八幡宮は、山城国男山八幡宮から勧請されたと伝えられており、創建年は不詳であるが、「玖珂郡志」(享和2年<1802>広瀬喜尚著)が載せる弘治2年(155610月の「諸神田帳」には、「八幡、米八斗」と記述されており、これが瀬田八幡宮のことと推定され、文献上の初出である。
 さらに、「玖珂郡志」が載せる瀬田八幡宮の縁起は、「寛永六年、従公儀再興被仰付候処、延宝五丁巳年十二月廿一日夜、社炎焼。再興、延宝六戊午七月吉日。其後、正徳乙未九月吉祥日」と記述されており、寛永6年(1629)、岩国領主吉川広正の代に再興が命じられたが、延宝5年(1677)12月に焼失し、翌6年(1678)7月に再興それ、さらに下って、正徳5年(1715)9月に再興された、ということになる。
 また、この延宝6年再興と正徳5年再興の中間に位置する「元禄年間寺院由来記」(江戸中期:山口県文書館蔵)は、瀬田村の八幡宮について、「一、本社二間三間檜皮葺」、「一、高壱石八斗除地有之」、「一、石之華表、但元六年広紀公御代建立被仰付之」と載せており、本殿が2間3間の檜皮葺で、社領が一石八斗ほどあり、元禄6年(1693)、吉川広紀の代に華表(鳥居)建立が命じられたことを記述している。
 とくに、「玖珂郡志」が記述する、延宝6月7月の再興については、「山口県風土誌巻第三十九」(明治37年<1904>:近藤清石編)が同年同月の棟札の存在を記述していることと符合し、また、正徳5年9月再興については、現存する棟札が「上棟周州玖珂郡瀬田八幡宮、領主吉川亀次郎藤原朝臣修造、正徳五年乙未九月吉祥日」と墨書していることと一致する。
 これらの記録から、現在の本殿は、正徳5年9月、岩国領主吉川亀次郎(経永)の命で建立されたものである、と指摘することが可能である。
 また、寛延4年(1751)8月の置札によると、岩国領県吏綿貫善右衛門の命で神輿1基が再修されており、さらに、19世紀初めの追補と推定される向拝の水引虹梁上部蟇股には、吉川氏の九曜紋が刻まれていることから、岩国領主と瀬田八幡宮の間には、再建や修理などの節目節目で、強い係わりがあった、と指摘できる。
 廃藩置県以後は、村社に列せられ、「玖珂郡神社明細帳」(明治前期:山口県文書館蔵)によれば、明治13年(1880)6月の時点で、装束・和木・瀬田・関ケ浜村など、595戸が氏子であった。
 戦後、村社の格は廃止されたが、今日、近郷の氏神として崇拝されており、本殿については、昭和58年(1983)7月の県道拡幅工事にともない、現在地に移築・修理され、翌59年2月の上棟祭を経て、平成5年(1993)2月には、和木町の有形文化財に指定された。

構造及び形式

前室付き三間社流造、向拝一間、銅板葺
(イ)本殿
・基壇 安山岩乱積。壇上表面は土間。磁石及び縁束石は安山岩割石。
・軸部〔身舎〕 土台に円柱を立てる。切目長押と内法長押が正面までまわる。両側面上下に寄せが付く。頭貫がある。内々陣の高棚上部に回縁をかねて長押をつける。
    〔前室〕 面取り角柱を立てる。角柱間柱根に地覆を付ける。切目長押と頭貫をつける。両側は海老虹梁で身舎柱と結ぶ。身舎土台を延長して前室柱とほぞざしで繋ぐ。
・組物〔身舎〕 正面と側面は挙鼻付き平三斗、四隅は桁行に頭貫木鼻を根肘木がわりに連三斗とし、連斗は皿斗である。背面の平三斗には挙鼻がない。
    〔前室〕 平三斗、中柱上に雲紋の手挟が付く。両側は頭貫木鼻を根肘木がわりに連三斗とし、連斗は皿斗である。
・中備〔身舎〕 正面三間に、本蟇股(全て菊花に葉)。
    〔前室〕 正面三間に、本蟇股(中央間は鯱、両脇間は菊花らしい)。両側面海老虹梁、下端に板を張り菱格子をつける。
・軒回り 正面背面とも二軒、繁垂木。正面の飛檐垂木は向拝までのびる。六枝掛。
・妻部 豕扠首組とし、破風には猪の目懸魚をつける。
・縁 跳高欄付き切目縁、脇障子は吹寄せ菱格子の襷をつける。吊り束は竹の節と一体、竹の節は身舎側にもつく。切目縁は身舎部分で前室より50㎝程あげる。正面中央間の切目縁は一段低くして木階につづく。木階四級は擬宝珠柱と登高欄付きである。隅叉首あり。
・柱間装置
〔前室〕中央間は両開き板戸をたてる。両脇間は格子戸嵌め殺し(腰に内側板張り)である。
〔内陣〕正面三間は幣軸つき板唐戸。
〔内々陣〕高棚で正面三間である。
・天井〔前室〕化粧屋根裏。
    〔内陣〕竿縁天井。
    〔内々陣〕内陣の竿縁天井板を延長している。竿縁はない。
・彩色 正面木階、中央切目縁、前室中央板唐戸、前室両脇間格子嵌め殺し、前室床、身舎幣軸より下及び板唐戸、前室側面の海老虹梁下の板壁内側、前室中柱上の手狭、内々陣、高棚、垂木、野地板は白木。垂木木口は白塗。身舎正面中備蟇股は色がはげ落ちているが、もとは極彩色らしい。それ以外は朱塗。
・材料 身舎柱は杉、前室柱は松、内々陣高棚柱は桧。斗キョウ・蟇股・手狭などは樟。
・金物 内陣の扉金物は鉄製。外陣の扉金物は金メッキ。擬宝珠金物は銅製。
 
(ロ)向拝
・基礎 安山岩乱積。礎石は安山岩自然石。前室の地覆が向拝の土台となる。
・軸部 土台に面取り角柱(松)を立て、水引虹梁をわたす。水引虹梁の木鼻は獏頭に似せている。絵様表面は若葉(オモダカ草か)、裏面は菊花。
・組物 水引虹梁の木鼻を根肘木がわりに連三斗とする。枠肘木は笹繰付き。手狭(若葉)付き。木鼻は獏頭に似せて抜彫り。
・中備 本蟇股(表面は吉川家文、裏面は桃様の花)。
 
(ハ)棟札2枚(正徳5年、昭和58年)、木札1枚、置札1枚

参考情報

瀬田八幡宮(和木町)棟札
1.正徳五年(1715)の棟札
 上棟正徳五年乙未九月吉祥日の記がある
 [総高852㍉ 上幅198㍉ 下幅198(176)㍉ 厚25㍉ 檜 角釘一 台鉋]下部隅切り

2.昭和五十八年の棟札 本殿棟束左より四本目に打ちつけ。
 [総高632㍉ 幅150㍉ 厚さ13㍉ 杉板 台鉋仕上げ 丸釘]
 (表)

 (裏)打ちつけのため見えず、墨書はある。

3.化粧棟木背面中央の墨書


4.昭和59年 上棟祭 木札
 [総高1015㍉ 肩高973㍉ 上幅259㍉ 下幅210㍉
上厚23㍉ 下厚24㍉ 檜材 台鉋仕上げ 釘なし]


5.寛延4年(1751)の置札
 [総高800㍉ 肩高785㍉ 上幅180㍉ 下幅170㍉ 上厚17㍉ 下厚10㍉ 杉材 台鉋仕上げ 釘なし 右肩と下部右隅に腐蝕あり]

地図

画像

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