大波野神舞
おおはのかんまい
田布施町
県
民俗文化財
大波野の4地区に伝わり、5年に1度は、そのうちのいずれかの地区の神社(今は、公民館など)で、10年に1度は、八幡八幡宮に奉納されている神楽。昭和55年からは、毎年、八幡宮の春の例祭に奉納されるようになった。10年に1度の式年祭には、神社の境内に、8本の竹柱を立て、むしろを敷き詰めた3間×3間半(およそ5.4m×6.3m)の神殿(舞場)が作られ、14の曲目が演じられる。お囃子に使う金属の打楽器の鉦に刻まれている銘から、1781年(天明1)には、あったことが分かり、舞子の持ち物が重んじられることや、曲目に出雲神話が語られることなどから、出雲流の神楽に属するものではないかと思われる。演じ方に中世以前の芸能を思わせる部分が多く残っていて、注目されている。
大波野の4地区に伝わり、5年に1度は、そのうちのどこかの地区の神社(今は、公民館など)で、10年に1度は、八幡八幡宮に奉納される神楽です。昭和55年からは、毎年、八幡宮の春の例祭に奉納されるようになりました。10年に1度の式年祭には、神社の境内に、8本の竹柱を立て、むしろを敷き詰めた3間×3間半(およそ5.4m×6.3m)の神殿(舞場)が作られ、14の曲目が演じられます。お囃子に使う金属の打楽器の鉦に刻まれている銘から、1781年(天明 1)には、あったことが分かり、舞子の持ち物が重んじられることや、曲目に出雲神話が語られることなどから、出雲流の神楽に属するものではないかと思われます。演じ方に中世(鎌倉~室町時代)以前の芸能を思わせる部分が多く残っていて、注目されています。
大波野神舞
無形民俗文化財
平成12年12月15日 (山口県教育委員会告示第7号)
大波野神舞保存会
経歴
大波野には、上・中・下の各組と小行司(現在、田布施町の飛び地)の4地区があり、5年に1度(4年毎)4地区のうち1地区で演じられるほか、10年に1度(9年毎)氏神の八幡宮(通称、八幡八幡宮、大波野・波野両村の氏神、氏子約800戸)の式年大祭で奉納されているし、保存会設立後は毎年、同じ八幡宮の春季例祭に奉納されている。近年の状況は、昭和63年4月10日・中組(於農林公園)、平成4年4月12日・下組(於稲荷社)、平成8年3月31日・小行司(於公民館)、平成12年4月2日・上組(於八幡宮)の地区奉納、そして平成11年10月3日八幡宮奉納。
昭和55年4月7日の八幡宮式年祭のあと保存会設立の気運が芽生え、「大波野神舞を振興する会」が結成されて早くも同年8月3日設立総会の開催に漕ぎ着け、同24日理事会を経て大波野地区全戸を対象とする保存会が正式に発足した。昭和59年4月5日田布施町指定無形民俗文化財となる。なお、練習は大波野中に所在する大波野中央会館で毎週日曜日に行われ、また、ここに一切の道具が保管されている。
平成元年9月24日西中国神楽競演大会(広島県加計町)出演。平成2年11月4日山口県民俗芸能大会(秋穂町)出演。平成8年9月15日伊勢神宮2000年祭奉納。平成12年8月24日山口県文化財愛護協会設立30周年記念公演出演。
○演ぜられていた4地区の場所
①下組(約70戸)は稲荷大明神(字八和田)
享保5年(1720)勧請、例祭は5月3日、石鳥居は宝暦10年(1760)3月、石灯籠は寛政5年(1783)11月
②中組(約70戸)は金比羅社(字惣津)
元文5年(1740)鎮座、例祭は4月11日、石鳥居は宝暦10年8月、石灯籠は文政8年(1823)12月
③上組(約50戸)は天神社(字上段)
例祭は10月15日、石鳥居は文政5年9月、石灯籠は寛政7年8月と天保9年(1838)9月
*荒神社(字岩永)の場合もあった。同社の例祭は4月11日、石灯籠は文政11年5月
④小行司(約50戸)は多賀神社(字小行司)
例祭は7月20日、石灯籠は文化14年(1817)2月・明治22年(1889)11月ほか、石鳥居は明治14年6月
*いずれの場所も狭隘で、かつ奥まったところにあるため、道具の運搬や観客の便宜を図って今日は、公民館グ
その起源については不明である。しかし、保存会に今も伝わる鉦1対(径各15.4㎝)の陰刻銘「天明元丑年/閏五月吉日」、「奉寄進/井上景豊敬白」からして、少なくとも天明元年(1781)には存在していたと思われる。また、前記経歴の項で示した4地区の旧奉納場所のうち稲荷大明神は、元文3年(1738)書き上げの「熊毛郡大波野波野両村絵図境目書」に見えるし、鳥居や灯籠の寄進時期、さらに多賀神社についても、19世紀半ば成立の『防長風土注進案』に記される社伝に元文年中に勧請とあることなどが発生の時期を推測される。
【内容】
(1) 奉納の形態
奉納の前日に神殿掛け(舞場造り)を行う。
神殿(舞場)は、3間×3間半に筵を敷き詰め、四隅とそれぞれの中央とに計8本の竹柱を立て、互いの柱は胸の高さで渡した柵で固定される。その四隅および東西の中柱には大旗を掲げ、つぎのように記される。東=科戸辺之神、西=金具土之神、南=波通安之神、北=水波乃賣神、天照皇大神、月読之大神。さらに、神殿の周りに注連縄を4段張り巡らせ、赤・青・黄・紫の色紙で作った小旗を40㎝間隔に下げ、保存会に伝わる大正・昭和期の「神名帳」に載る160社余りの社名が記される。また、それぞれの注連縄の中央には半紙で鳥居をあしらった切り飾りを固定する。神殿の棟から2つの天蓋(40㎝四方、鳥居をあしらった方体からはたくさんの色紙の幣を取り付ける)を吊り下げる。なお、神棚を東の方向に設けることを習いとするが、八幡宮の場合は社殿側に設置する。
舞場と楽屋とは筵を一列に並べた花道で結ばれる。また、10年に一度の八幡宮式年祭では、八関の舞用に舞場から関松までに同じく花道が設けられ、その花道に沿って8つの鬼の小屋がしつらえられる。関松の頂上付近には半紙5枚分の「山津見之命」「大津見之命」と記された大旗2枚を掲げ、さらに和紙製の「大日女神」「月読神」と記された太鼓(中に蝋燭を立てる)2つを東西に下げる。
舞の奉納に先立って、舞場中央に舞子全てが着座し神職が祝詞をあげて舞場と舞子を祓い浄める。これを神下ろしという。舞は、湯立を最初に舞子の演舞役割を考慮して臨機応変に構成され、平成11年の式年祭では以下のように演ぜられた。
①湯立(祓い浄めの舞、田植えの所作をし五穀豊穣を祈る)8:41~8:57
②勧請(舞場に神々をお迎えする喜びを表現した舞)8:58~9:08
③三神(神々が国を治められるその熱意と苦労を称賛する勇壮な舞)9:09~9:18
④恵比須(「鯛釣り」ともいい、大国主命の子、事代主命が人々に漁の方法や商いの道を教えるようすを表した舞)9:22~9:37
⑤三宝荒神(仏・法・僧の三宝を守護する荒神の舞)9:39~9:48
⑥四天王(香取神社・鹿島神社・御熊神社・天穂日神社の社中が団欒に興ぜられる中に、大名持神が子孫繁盛の神宝を授け、さらに薙刀を持って四方を薙ぎ浄め、夫婦奴が出て団欒は最高潮に達するという舞)9:51~11:08
⑦三弓(若い神々が乱れた国々の平定に向かうに当たり、大国主命〈六郎王子〉が五郎王子とともに加勢をして国の太平楽を求めるようすを表した舞)11:09~11:32
⑧日本記(「国すくい」ともいい、伊弉諾尊が混沌の中から地上世界を創造したようすを表現した舞)11:37~11:57
⑨ニ刀(五竜王兄弟の末弟が、黙々と武術に励むようすを表現した舞)11:58~12:8
⑩七五三(「注連口の舞」ともいい、八調子、託宣、袖返り等基本の舞全てが納まる)12:34~12:51
⑪六神(神迎えの一部で、神楽囃子の域を越す急調子の舞)12:53~12:57
⑫大将軍(弓の名手、大将軍が「四弓」のいわれを説き、悪魔を射倒す舞)12:59~13:15
⑬八関一国が開かれ、天下太平に至るには八鬼神の関を通り、神を迎え敬うことによって初めて可能という。
○八薙刀(関松に至る神人の道である舞場を祓い浄める舞)13:17~13:21
○紫鬼神(八組の鬼神と神主との問答を中心とし、柴すなわち榊のいわれを説く、最後には善の綱を舞場にわたし、投げ込まれた賽銭を和紙にくくりつけ、それを狭んで舞う)13:32~14:39
○綱下り(高天原を追われ、地上界に向かう素戔鳴尊の姿を表現、神人が関松に登り、天照大神・月読神をいただき綱を伝って地上に降り立つ)14:43~14:55
⑭磐戸(いわゆる「天の岩戸」の神事を表現)15:07~15:32
舞終了後には、神戻しの神事が行われ、最後に神殿解き(小旗や切り飾りは縁起物として見物人が持ち帰り、竹杭は解体焼却される)が催される。
(2)舞方(足の運び)
八調子を基本とする。八調子とは、一声(繰り返して奏でる楽の一節)を八節で踏み、各一節は二調子で片足で飛ぶこと。これに、反閇・横八調・くさりが加わる。反閇は、外側の足を折り、内側の足を延ばして爪先で踏みならしながら足を引きずるように前へ進むこと。横八調は、八調子のリズムで横に移動すること。くさりは、右足を前にして次の動作に移る前の調子をとり、各一歩毎に体を二度軽く上下すること。
(3)囃子方
全曲を通し、太鼓1、手鉦(合わせ鉦)1、篠笛1を基本とするが、舞子の役割分担に応じ、篠笛が2~3になったりする。そのリズムは、基本的に八調子とし、テンポが速い。
(4)曲目・衣装等一覧
湯立/4/各人とも白衣・袴・風折れ鳥帽/刀(布付け、左)/各1
/(大人)/子/鈴(右)/各1
/ / /小幣(左)/各1
勧請/2/各人とも狩衣(赤色)・白衣・/扇子(左)/各1
/(中・高生)/袴・風折れ鳥帽子/小幣(左)/各1
/ / /鈴(右)/各1
三神/3/各人とも白衣・袴・風折れ鳥/御幣(左)/各1
/(小学生)/帽子/鈴(右)/各1
/ / /扇子(左)/各1
/ / /*小幣は腰ざしのまま/各1
恵比須/1/狩衣(赤)・白衣・袴・襷・/釣り竿(鯛付き、左)/1
/(大人)/面(黒爺)・風折れ鳥帽子/小幣(左)/1
/ / /扇子(左)/1
/ / /鈴(右)/1
三宝荒神/3/各人とも白衣・袴・風折れ鳥/扇子(左)/各1
/(女子小学生)/帽子/鈴(右)/各1
/ / /御幣(左手、最初は中央に設置)/各1
/ / /*小幣は腰ざしのまま/各1
四天王/9/○四天王=各人とも白衣・袴・/○四天王/
/(大人7、男/風折れ鳥帽子・幟旗(香取神社/鈴(右)・小幣及び/全各1
/女小学生各/・鹿島神社・御熊神社・天穂日/扇子(左)/
/1=夫婦奴)/神社と書記)/*刀は腰ざしのまま/
/ /○大名持=羽織・白衣・袴・面/○大名持/
/ /・頭に幣飾り/鉾(右)・軍配(左、/全各1
/ / /大名持神及び五穀成就/
/ / /と書記)・珍宝/
/ /○夫婦奴=各振り袖・前垂れ・/○夫婦奴/
/ /手甲・脚絆・鉢巻き・襷掛け・/藁薙刀(御幣・幣飾/各1
/ /草鞋/り付き/
/ /○四方切り・本柄=白衣・袴・/○四方切り・本柄/
/ /鉢巻き/薙刀(御幣付き)/1
/ / /*小幣は腰ざしのまま/
三弓/6/○三弓(小学生)=各人とも白/○三弓=弓(左、幣飾/各1
/(大人3、小/衣・袴・風折れ鳥帽子・襷/り付き)・鈴(右)/
/学生3)/○六郎=白衣・袴・面・頬被り/○六郎=弓(左)・擂/各1
/ /・具足/り粉木(右)/
/ /○太夫=白衣・袴/○太夫=御幣/1
/ /○五郎=白衣・袴・面(赤鬼)/○五郎=棒(右)/1
/ /・刀(腰差しのまま)/ /
日本記/1/狩衣(紫)・白衣・袴・風折れ/鉾(幣飾り付き)/1
/(大人)/鳥帽子・面(白爺)・襷/扇子・小幣(左)/各1
/ / /鈴(右)/1
ニ刀/1/白衣・袴・襷・鉢巻き/刀(左右各1)/2
/(大人)/ /*小幣は腰差しのまま/
七五三/2/各人とも狩衣(紫)・白衣・袴/扇子・小幣(左)/各1
/(大人)/・風折れ鳥帽子/鈴(右)/各1
六神/6/各人とも狩衣(赤・紫各3)・/扇子・小幣(左)/各1
/(大人)/白衣・袴・風折り鳥帽子/鈴(右)/各1
大将軍/4/各人とも白衣・袴/①刀(左、襷付け)、/各1
/(大人)/①②ともに風折れ鳥帽子/鈴(右)/
/ /③鉢巻き/③弓(御幣付き、左)/各1
/ /④狩衣(赤)/鈴・矢(右)/
/ / /④御幣/1
八関/八薙刀/各人とも白衣・袴・襷(赤と水/薙刀(御幣付き)/各1
/4(大人)/色)・鉢巻き・小幣/ /
/柴鬼神/ / /
/8(大人)/各人とも白衣・袴・襷・鬼面(赤・青・黒・茶・緑・黄・白/棒(左)、軍配(右)/各1
/ /桃色)・シャクマ・刀/*最後の鬼は右手に鈴/
/8(少年)/各人とも白衣・袴・風折れ鳥帽/7人=御幣/各1
/ /子/1人=御幣(左)、鈴(右)/各1
/綱下り/ / /
/4(少年)/各人とも白衣・袴・風折れ鳥帽/扇子(左)、鈴(右)/各1
/ /子/ /
/1(大人)/白装束・赤のちゃんちゃんこ/ /
磐戸/1(天宇津女/狩衣・白衣・袴・風折れ鳥帽子/鉾(左)、鈴(右)/各1
/命、大人)/・面/ /
/2(天児屋根命/各人とも白衣・袴・風折れ鳥帽/御幣(黒と赤、左)、/各1
/・天太玉命、少/子/鈴(右)/
/年)/ / /
/1(手力男/白衣・袴・赤鬼面・シャクマ・/鬼の棒(左)、軍配(右)/各1
/命、大人)/刀・襷/ /
/1(天照大/狩衣、白衣、袴、ようらく/小幣・日天(左)、赤/各1
/神、少女)/ /扇子・月天(右)/
(5)読み立て(口上)
明治期の写しと推定される「読み立て」本が伝わっているが、それが必ずしも現行通りではないため、平成11年9月、現行を再現した「読み立て読本」が作成された。
大波野神舞保存会
経歴
大波野には、上・中・下の各組と小行司(現在、田布施町の飛び地)の4地区があり、5年に1度(4年毎)4地区のうち1地区で演じられるほか、10年に1度(9年毎)氏神の八幡宮(通称、八幡八幡宮、大波野・波野両村の氏神、氏子約800戸)の式年大祭で奉納されているし、保存会設立後は毎年、同じ八幡宮の春季例祭に奉納されている。近年の状況は、昭和63年4月10日・中組(於農林公園)、平成4年4月12日・下組(於稲荷社)、平成8年3月31日・小行司(於公民館)、平成12年4月2日・上組(於八幡宮)の地区奉納、そして平成11年10月3日八幡宮奉納。
昭和55年4月7日の八幡宮式年祭のあと保存会設立の気運が芽生え、「大波野神舞を振興する会」が結成されて早くも同年8月3日設立総会の開催に漕ぎ着け、同24日理事会を経て大波野地区全戸を対象とする保存会が正式に発足した。昭和59年4月5日田布施町指定無形民俗文化財となる。なお、練習は大波野中に所在する大波野中央会館で毎週日曜日に行われ、また、ここに一切の道具が保管されている。
平成元年9月24日西中国神楽競演大会(広島県加計町)出演。平成2年11月4日山口県民俗芸能大会(秋穂町)出演。平成8年9月15日伊勢神宮2000年祭奉納。平成12年8月24日山口県文化財愛護協会設立30周年記念公演出演。
○演ぜられていた4地区の場所
①下組(約70戸)は稲荷大明神(字八和田)
享保5年(1720)勧請、例祭は5月3日、石鳥居は宝暦10年(1760)3月、石灯籠は寛政5年(1783)11月
②中組(約70戸)は金比羅社(字惣津)
元文5年(1740)鎮座、例祭は4月11日、石鳥居は宝暦10年8月、石灯籠は文政8年(1823)12月
③上組(約50戸)は天神社(字上段)
例祭は10月15日、石鳥居は文政5年9月、石灯籠は寛政7年8月と天保9年(1838)9月
*荒神社(字岩永)の場合もあった。同社の例祭は4月11日、石灯籠は文政11年5月
④小行司(約50戸)は多賀神社(字小行司)
例祭は7月20日、石灯籠は文化14年(1817)2月・明治22年(1889)11月ほか、石鳥居は明治14年6月
*いずれの場所も狭隘で、かつ奥まったところにあるため、道具の運搬や観客の便宜を図って今日は、公民館グランドなどで演じられることが多くなっている。
昭和59年4月5日田布施町指定無形民俗文化財
山口県民俗芸能緊急調査(平成10・11年度山口県教育委員会実施)で、平成11年10月3日の式年祭奉納をとらまえて調査。その成果は、調査報告書『山口県の民俗芸能』(平成12年3月刊行)に登載。
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