大照院
だいしょういん
萩市
国
重要文化財
江戸時代
大照院は、萩藩二代藩主毛利綱広(つなひろ)が再興し、明暦2年(1656)までに本堂以下の建物を整えた臨済宗寺院である。大照院には、初代藩主秀就(綱広父)と二代以下偶数代藩主の墓所が営まれ、東光寺(重要文化財・昭和41指定)とともに藩主の菩提寺とされた。
現在の伽藍は延享(えんきょう)4年(1747)火災後の再建になるもので、本堂、庫裏、書院、鐘楼門が寛延(かんえん)3年(1750)、経蔵が宝暦(ほうれき)5年(1755)である。
本堂は、入母屋造の大規模な方丈形式である。庫裏は切妻造、本瓦葺きの、大材(たいざい)を用いた豪壮なつくりである。書院は端正なつくりの数寄屋風書院である。
大照院は、本堂や庫裏及び書院が揃い、質実な造形に特徴が認められ、地方における正統的で格式の高い禅宗寺院建築として高く評価できる。
藩主の菩提寺として近世中期の建築群がよく残り、庭園及び周囲の境内林との空間構成など、優れた寺観を呈しており、価値がある。
大照院は、萩藩二代藩主毛利綱広(つなひろ)によって再興され、1656年までに本堂などの建物ができた寺院です。
いまの建物は1747年の火災後に再建されたものです。
本堂は、大規模な方丈形式(3室の並びを2列配置したもの)です。庫裏(寺院の台所)は瓦ぶきで大きな木材を使った堂々としたつくりです。書院(住職の書斎)はきれいで整った茶室風のつくりです。
大照院は、むだな飾りのないつくりに特徴があります。建物、庭園と周囲の林とで見事な景色をつくっています。
大照院
重要文化財(建造物)
平成14年5月23日
萩市大字椿
宗教法人 大照院
寛延元年(1748)着工~寛延3年(1750)竣工
〔大正11年(1922)修築〕
本堂:桁行約25.3m、梁間約18.0m。
庫裏:
(1) 概要
切妻造、本瓦葺、妻入、北面建、南東面廂付、
(2) 規模
桁行 約18.1m
梁間 約18.0m
建築面積 264.7065㎡
(3) 構造形式
総て角柱、磁石、自然石、妻入口側地覆石
正面(北面)東より一間玄関式台構え、次五間の中央間台所入口桟唐戸両内開き、大防ぎ格子外開き構え
庇柱建て屋根瓦葺付、左右腰堅板張、次の間両方共出格子屋根板葺猿頭付、樌3通り差し、側柱より一間中の間柱に繋虹梁掛け、取合差肘木構え、中央三間柱上部長押取廻し、長押下中央及び西の間捻子連子窓、柱及び束上部梁下大斗絵様肘木供え、梁上中央蟇股と両脇大斗肘木の三具備え、その上二重虹梁大瓶束で棟木を受く、側柱より中の間柱に掛けた繋虹梁の中央拳鼻大斗肘木で桁を受く、破風は反り破風、延裏甲破風より持送りで受く、3ツ花懸魚鰭付き、西の方突出部主屋準ずる。
東面切目縁柱建て、直捶一と軒、西面土庇一部柱代りに腕木持送り構、各所出入口中連構え、直捶一と軒、南面上部大要北面に、下部東面に同じ、平面は正方形をなしており、正面右側二間を物置、南東面に廂を設け、廂に面して各8畳・6畳を周囲にめぐらす。
正面より玄関(土間)に入ると、建物中央に桁行四間、梁間二間半の板敷間を設け、右側を台所、左側を8畳部屋とす。
各部屋の間仕切に明障子、板敷間と台所は板戸4枚(1枚一間)、台所と板敷間、玄関は化粧屋根裏天井としている。
書院:桁行約21.9m、梁間約22.7m。
鐘楼門:三間一戸二階二重門。
経蔵:正面・側面とも約6.2m。内部に輪蔵(回転式書架)を設置する。また、6代藩主宗広、7代藩主重就の木像を安置している。
大照院は、元禄4年(1691)に創建された黄檗宗護国山東光寺(昭和41年6月11日重文指定)と共に毛利宗家歴代の牌所となり、初代秀就(大照公)2代綱広(泰巌公)、4代吉広(青雲公)、6代宗広(観光広)8代治親(容徳公)、10代斉煕(清徳公)、12代斉広(崇文公)の7藩主夫妻などの墓碑がある。
この他にも以下の文化財
国指定重要文化財(彫刻) 木造赤童子立像 明治35年7月31日指定
国指定史跡 萩藩主毛利家墓所(大照院墓所) 昭和56年5月11日指定
県指定有形文化財(彫刻) 木造釈迦如来坐像 昭和41年6月10日指定
県指定有形文化財(彫刻) 木造義翁和尚倚像 昭和53年12月22日指定
市指定天然記念物 大照院の大フジ 昭和37年1月11日指定
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