郡司鋳造所跡の鋳造関連出土品
ぐんじちゅうぞうしょあとのちゅうぞうかんれんしゅつどひん
山口市
県
有形文化財
江戸時代
郡司鋳造所跡は、萩市の椿東無田ヶ原(ちんとうむたがはら)にある近世の鋳物(いもの)工房跡である。郡司家は、江戸時代前期から幕末期にかけて、防長二か国を代表する萩藩お抱(かか)え鋳物師(いもじ)の一族だった。犂先(すきさき)・鍋などの農耕・生活用具や梵鐘(ぼんしょう)などの仏具の鋳造を行い、幕末期には萩藩の軍事的要請に応じて、大砲・砲弾などの兵器鋳造にも深く関わっていた。
出土品には、幕末期の四国連合艦隊下関砲撃事件(1864年)で長州藩が実戦に使用したと考えられる西洋式大砲や砲弾などを生産した鋳造関連品が含まれる。これらは、幕末・維新期に大きな歴史的役割を果たした長州藩が自力で西洋技術導入に取り組んだ先進的な側面を示し、当時の軍事産業の実態を表す全国的にも類例の少ない資料である。
出土品の主体は、大砲鋳造等の基盤となった鋳物師の鋳造技術や生産工程を具体的に示す江戸時代全般にわたる多様な鋳造関連資料で、全国的にも貴重なものである。
郡司鋳造所跡は、萩市の椿東無田ヶ原(ちんとうむたがはら)にある、江戸時代の鋳物(いもの。金属を溶かして、型に流しこんでつくった道具)の作業場があった所です。郡司家は、江戸時代、防長二か国を代表する萩藩お抱(かか)え鋳物師(いもじ。鋳物職人)の一族でした。犂(すき)の先や鍋などの農耕・生活用具や、鐘などの仏具をつくり、幕末には萩藩からの求めに応じて、大砲・砲弾などの兵器もつくっていました。
出土品には、鋳物づくりの技術や生産工程について知ることができる様々なものがあります。幕末の四国連合艦隊下関砲撃事件(1864年)で長州藩が使ったと考えられる、西洋式大砲や砲弾などをつくったときの関連品もあります。幕末・維新のときに大きな歴史的役割を果たした長州藩が、自力で西洋技術を取り入れようとしたことがわかります。
郡司鋳造所跡の鋳造関連出土品
有形文化財 考古資料
平成20年5月9日
山口市春日町3番22号
山口県埋蔵文化財センター
山口県
江戸時代
犂先(すきさき)鋳型 21点
鍋鋳型 11点
梵鐘(ぼんしょう)鋳型 145点
大砲鋳型 11点
砲弾鋳型 31点
分銅(ふんどう)鋳型 4点
工芸品等鋳型 67点
鋳型製作具 69点
こしき炉 1点
炉壁 13点
鞴羽口(ふいごはぐち) 9点
送風管 8点
湯樋(ゆひ) 1点
坩堝(るつぼ) 11点
鉄製犂先(すきさき) 3点
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