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文化財の概要

文化財名称

須佐宝泉寺・黄帝社奉納船絵馬

文化財名称(よみがな)

すさほうせんじ・こうていしゃほうのうふなえま

市町

萩市

指定


区分

重要民俗文化財

時代

江戸時代

一般向け説明

 須佐宝泉寺・黄帝社奉納船絵馬は、山□県萩市須佐高山(こうやま)に所在する宝泉寺とその鎮守社として祀られている黄帝社に奉納された絵馬で、現在は萩博物館に寄託され保管されている。絵馬は海上安全を祈願した絵馬と、海上での遭難から救われたことを感謝して奉納された絵馬に大別される。宝泉寺と黄帝社のある須佐高山は江崎と須佐の港の中ほどにあり、絵馬はこれらの港に寄港した船乗りや船主たちによって奉納されたものである。
 宝泉寺および黄帝社には全部で67点の絵馬が奉納されているが、そのうち49点が船絵馬である。これらの絵馬の奉納年代は江戸時代後期から明治期に及ぶ。その中で最も古いものは、享和4年(1804)のものである。
 須佐高山は北前船の船乗りたちにとって航海の目印であっただけでなく、寛保元年(1741)書き上げの「瑞林寺由来書」(『防長寺社由来』所収)には黄帝社は「狗留尊仏(くるそんぶつ)黄帝小社(しょうしゃ)」と呼ばれて海上安全の神として信仰されたことが記されている。また、長州藩の編纂した『風土注進案(ふうどちゅうしんあん)』には高山に対して「沖行く船は帆を、下げて敬拝」する作法があったと記されている。
 絵馬の中には海上航行中に嵐に遭い難船しかかった様子を描いた難船絵馬が9点見られる。強風に遭い船が難破しかかると、船頭は積荷を海中に捨てて帆を降ろし帆柱を倒して難破を防いだというが、それでも難破を免れぬ場合には、乗組員は髷を切り、船霊や金毘羅など海上安全の神を祈って遭難を免れようとしたという。難船絵馬の画面には帆を降ろし波に翻弄されている廻船と、画面上部には難船を救いに来てくれる神を表したと思われる雲に乗った御幣が描かれ、それに向かって祈る髷を落とした乗組員が描かれているものも見られる。このような難船絵馬が他の地域で見られるまとまりと比較して多く見られるのも本件の特徴の一つである。
 本件の絵馬のもう一つの特徴は、判明している奉納者の範囲が日本海側の広範囲の地域に及ぶことであり、また、その奉納年代が江戸時代後期から明治期に至るもので、ちょうど日本海を行き来する西廻り航路の廻船活動が盛んに行われた時期にあたる。これら廻船の発展に伴って日本海各地から絵馬が奉納されたと考えられるのである。
 宝泉寺および黄帝社への船絵馬奉納が行われた背景には、風待ち、潮待ちの港として・須佐や江崎の港に多くの船が出入りするようになったことがある。出入りする船の船乗りや船主たちが造船にまつわる神、海上安全の神として知られていた黄帝社および宝泉寺に絵馬奉納を行ったものと思われる。

小学生向け説明

 須佐宝泉寺・黄帝社奉納船絵馬は、山□県萩市の須佐高山(こうやま)にある宝泉寺と、それを守る神社としてまつられている黄帝社に奉納された絵馬で、現在は萩博物館に保管されています。絵馬には、海上安全を祈願した絵馬と、海上での遭難(そうなん)から救われたことを感謝して奉納された絵馬とがあります。宝泉寺と黄帝社のある須佐高山は、江崎と須佐の港の中ほどにあり、絵馬はこれらの港に寄った船乗りや船主たちによって奉納されたものです。
 宝泉寺と黄帝社には、全部で67点の絵馬が奉納されていますが、そのうち49点が船絵馬です。これらの絵馬は、江戸時代後期から明治時代にかけて奉納されました。その中で最も古いものは、1804年のものです。
 須佐高山は、北前船の船乗りたちにとって航海の目印であっただけでなく、海上安全の神として信仰され、沖を行く船は帆を下げてうやまう作法があったほどでした。
 絵馬の中には、海上航行中に嵐にあい船が難破(なんぱ)しかかった様子を描いた絵馬が9点あります。強風にあい船が難破しかかると、船頭は積荷を海中に捨てて帆を降ろし、帆柱を倒して難破を防いだといいいますが、それでも難破を逃れられない場合には、乗組員は髷(まげ)を切り、海上安全の神を祈って遭難を逃れようとしたといいいます。絵馬には、帆を降ろし波にもてあそばれている船と、船を救いに来てくれる神を表したらしい、雲に乗った御幣(ごへい。折った紙を木にはさんだ、おはらいのための道具)が描かれ、それに向かって祈る髷を落とした乗組員が描かれているものもあります。このような絵馬が他の地域に比べて多くあります。
 これらの絵馬は、日本海側の広い範囲の地域の人から、江戸時代後期から明治時代にかけて、奉納されています。ちょうどそのころ日本海を、商品を運ぶ船が盛んに活動しており、そのため日本海各地から絵馬が奉納されたのでしょう。
 風待ち、潮待ちの港として、須佐や江崎の港に多くの船が出入りするようになったため、出入りする船の船乗りや船主たちが造船にまつわる神、海上安全の神として知られていた黄帝社と宝泉寺に絵馬を奉納したのでしょう。

文化財要録

要録名称

須佐宝泉寺・黄帝社奉納船絵馬

指定区分・種類

重要有形民俗文化財

指定年月日

平成22年3月11日

所在地

萩市

所有者

宗教法人 宝泉寺

制作等の年代又は時代

江戸時代後期から明治期

員数

49点

品質及び形状

 奉納された絵馬は、そのほとんどが木製で形状は幅広の縁がついた横長の長方形であるものが多い。多くは板に直接絵を描いているが、船体の版画を貼り付けたものも見られる。中にはケヤキの板を使用したうえに金箔が施されているものや大坂の船絵馬師が描いたものも見られる。

地図

画像

須佐宝泉寺・黄帝社奉納船絵馬 関連画像001