(建造物彩色)馬場良治
(けんぞうぶつさいしき)ばばりょうじ
宇部市
国
選定保存技術
馬場良治は、東京藝術大学大学院美術研究科保存修復技術専攻を修了後、山崎昭二郎(やまざきしょうじろう。選定保存技術「建造物彩色」保持者(当時))に師事し、建造物の彩色復原・模写に従事し始めた。
昭和60年に重要文化財宝厳寺観音堂(ほうごんじかんのんどう)の建築彩色の模写に携わって以降、数多くの国宝・重要文化財建造物の彩色模写に従事し、技術の研鑽(けんさん)に努めるとともに、独自に彩色文様の研究を進め、同分野の特に古代から中世における高い見識を備えた。
平成5年に独り立ちしてからは、国宝平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)などの彩色模写に当たり、彩色仕様の解明のため科学的な分析を積極的に採用した。そして、重要文化財妙義神社唐門(みょうぎじんじゃからもん)の天井画などの彩色復原修理などを担い、優れた手腕を発揮した。さらに、重要文化財往生極楽院阿弥陀堂(おうじょうごくらくいんあみだどう)では平成11年に行った調査・模写の成果を元に彩色を復元した舟底天井が製作され、同人の業績における一つの到達点となった。また、後進の指導・育成にも尽力している。
馬場良治さんは、東京藝術大学大学院を修了後、山崎昭二郎(やまざきしょうじろう。選定保存技術「建造物彩色」保持者(当時))さんから教えを受け、建物の彩色復原(さいしきふくげん。もとの色に戻すこと)・模写(もしゃ)の仕事を始めました。
数多くの国宝・重要文化財の建物の彩色模写をおこない、技術を深く研究し、この分野の特に古代から中世について、深く本質をとらえ見きわめる力を身につけました。平成5年に独り立ちしてからは、国宝平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)などの彩色模写を行うときに、科学的な分析を積極的にとり入れ、新たな分野を切り開きました。
若手の指導・育成にも力をつくしています。
(建造物彩色)馬場良治
選定保存技術
【選定年月日】
平成26年10月23日
宇部市
馬場良治
保持者の略歴
昭和55年 東京藝術大学美術学部日本画科卒業
同 58年 同大学大学院美術研究科保存修復技術専攻修了
同 年 山崎昭二郎に師事
平成15年 歓喜院聖天堂(かんぎいんしょうてんどう)修理専門委員会委員彩色担当(平成22年まで)
(主な業績)
昭和60年 重要文化財「宝厳寺観音堂」の彩色模写に従事
平成元年 重要文化財「妙義神社唐門(みょうぎじんじゃからもん)」の復原修理に従事
同 6年 国宝「向上寺三重塔(こうじょうじさんじゅうのとう)」の彩色模写に従事
同 11年 重要文化財「往生極楽院阿弥陀堂」の彩色模写に従事
同 16年 国宝「平等院鳳凰堂」の彩色模写に従事(平成18年まで)
同 18年 重要文化財「往生極楽院阿弥陀堂」の彩色復元に従事
同 20年 重要文化財「正行寺本堂(しょうぎょうじほんどう)」の復原修理に従事
「建造物彩色」は、昭和54年4月21日に選定保存技術に選定され、現在、保存団体として公益財団法人日光社寺文化財保存会が認定されている。現保存団体に加えて、馬場氏を保持者として「追加認定」するものである。
選定保存技術「建造物彩色」について
我が国における建造物彩色は、仏教の伝来と共に大陸から移入され、平安時代になると日本的なものに洗練されて、華麗な発達を遂げた。室町末、桃山時代には漆を加えて建物内外ともに豪華絢爛(けんらん)な彩色を施す技法が発達した。
これらに建造物彩色は、初期の仏画や忍冬(にんどう)・宝相華唐草(ほうそうげからくさ)文様から繧繝(うんげん)・条帯文(じょうたいもん)などの幾何学的な連続文様へと変遷し、さらに花卉鳥獣(かきちょうじゅう)にまで及ぶが、いずれも天然の岩絵具や植物性染料を「ふのり」、「にかわ」を溶剤として塗布する方法がとられ、平安時代には既にあらゆる顔料が駆使された。後に漆を溶剤とする方法も用いられ、また、従来の平彩色(ひらさいしき)、平極彩色(ひらごくさいしき)に加えて生彩色(いけさいしき)や置上彩色(おきあげざいしき)の技術も発達した。
近代では、油性塗料や合成染料が建築彩色の主流となり、また、天然顔料の資源不足や技術者の減少などもあって、文化財の保存修理以外に古式の建造物彩色は行われていないのが現状であるため、保護を図る必要がある。
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