銅印 印文「三川私印」
どういん いんぶん「みかわしいん」
山口市
県
有形文化財
平安時代
青銅製の鋳造製品であり、印面は「三川私印」の4字を陽鋳(ようちゅう)する。印面は縦3.7㎝、横3.8㎝の方形で、鈕(ちゅう。つまみ)を含めた高さ4.6㎝、重量は73.7gである。
本銅印は、熊毛郡田布施町宿井に所在する官衙関連遺跡・尾尻(おじり)遺跡発掘調査により出土した。
銅印は竪穴建物跡の床面からやや浮いた位置で、印面を横に向けた状態で出土しており、国内の他遺跡の例から、この銅印は埋納されたと考えられる。竪穴建物跡で銅印とともに出土した遺物から、銅印は平安時代前期(9世紀代)の所産と考えられる。
本銅印は県内で発見された唯一の古代の印で、保存状態は良好であり、出土状況が明らかで、同じ遺構から出土した遺物により時期を決定できることから、資料的価値が高い。また、これまでの発見例を踏まえれば、「三川」は所有者の人名の一部である可能性が高く、銅印を用いた祭祀(さいし)行為が想定できる点も重要である。本銅印の存在はこの地区における官人ないし地域有力者の居住を示すものであり、古代熊毛郡ひいては周防国の歴史を考える上で貴重な資料ということができる。
青銅(銅とスズとの合金)製の印判で、「三川私印」の4字が浮き出すようにつくられています。印の表面は縦3.7㎝、横3.8㎝の四角形で、つまみを含めた高さ4.6㎝、重さは73.7gです。
この銅印は、熊毛郡田布施町宿井(しゅくい)にある役所関係の遺跡・尾尻(おじり)遺跡の発掘調査によって出土しました。
たてあな建物跡で銅印とともに見つかったやきものから、銅印は平安時代前期(9世紀代)につくられたものと考えられます。
この銅印は県内で発見された唯一の古代の印です。また、これまでの発見例から、「三川」は持ち主の名前の一部である可能性が高く、銅印は神や祖先をまつる儀式で使われたものと思われます。この銅印から、この地区に役人か地域の有力者が住んでいたことがわかります。
銅印 印文「三川私印」
有形文化財
(考古資料)
平成27年3月6日
山口市春日町3番22号
山口県埋蔵文化財センター
山口県
平安時代
1顆
本銅印は、ほ場整備事業に先立って山口県埋蔵文化財センターおよび田布施町教育委員会が平成24年度に実施した尾尻(おじり)遺跡発掘調査により出土した。尾尻遺跡は熊毛郡田布施町宿井に所在する官衙関連遺跡で、郡衙機能の一部を担った可能性が指摘されている。
銅印は竪穴建物跡の床面からやや浮いた位置で、印面を横に向けた状態で出土した。国内の他遺跡では、印面を横に向けて埋納されたとみられる例が複数知られていることから、本銅印も埋納された可能性がある。竪穴建物跡は東西4.8m、南北5.6mの台形状の平面形で、最大深さ24㎝の規模である。柱穴・竈(かまど)はなく、排水溝が付随する。
竪穴建物跡では、銅印とともに土師器(はじき)皿・杯(つき)・椀(わん)・甕(かめ)・鍋(なべ)、須恵器杯身(すえきつきみ)・杯蓋(つきぶた)・皿・甕、灰釉(かいゆう)陶器椀、緑釉(りょくゆう)陶器椀、中国製白磁碗が出土しており、緑釉陶器椀の年代観から銅印は平安時代前期(9世紀代)の所産と考えられる。
青銅製の鋳造製品であり、印面は単郭(たんかく)内に「三川私印」の4字を陽鋳(ようちゅう)する。印面は縦3.7㎝、横3.8㎝の方形で、鈕(ちゅう。つまみ)を含めた高さ4.6㎝、重量は73.7gである。鈕は上部が丸い「弧鈕(こちゅう)」形態で、鋳造後に穿孔(せんこう)する。
古代印には官印、公印、私印があり、8世紀からみられ、9~10世紀に増加する。このうち私印は家印・個人印とされているが、これを持ち得たのは官人等の有力者であったと考えられる。現存する古代銅印は約230点、うち私印は約180点で、青銅製の「○○私印」はこれまでに国内で30点確認されている。
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