月輪寺薬師堂
がちりんじやくしどう
山口市
国
重要文化財
鎌倉時代
山口市徳地上村の月輪寺境内にある。堂は桁行五間(12.27m)、梁間四間(9.82m)、一重寄棟造り茅葺の建物である。寺伝によると、1189年(文治5)に俊乗坊重源がこの地に来て、藤原兼実(月輪殿)の助力を得て薬師堂を再興したという。この現存する堂は構造様式や手法、また用材の材質などから見て、文治再興の建物と推定される。しかし鎌倉時代末から室町時代にかけての修補材も多く混じっており、さらに江戸時代初期には大修理が行われ、内陣四囲の一間通りの入側と小屋組がみな取り替えられている。それでも内陣の部分を中心に古い材も割によく残っており、鎌倉時代初期の手法が見られる。主体は文治五年(1189)建物とみてよい。現在山口県で最古の建造物と考えられる。
山口市徳地の月輪寺の境内にあります。寺に伝わるところによると、鎌倉時代の初めに、俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)がこの地に来て、薬師堂を再興したといいます。いまある堂はそのときの建物とおもわれます。しかし、鎌倉時代末から室町時代にかけて修理した時の木材も多く混じっており、さらに江戸時代初期には大修理が行われました。それでも内陣の部分を中心に古い材もわりによく残っており、鎌倉時代初期の手法が見られます。現在、山口県で最古の建造物といわれています。
月輪寺薬師堂 1棟
附 厨子1基 棟札2枚
重要文化財(建造物)
昭和24年2月18日(文部省告示 第16号) 国宝指定
昭和25年8月29日 文化財保護法により重要文化財指定 建第1133号
昭和48年11月29日(文部省告示 第163号) 構造及び形式の変更
山口市徳地字上村421番地
宗教法人 月輪寺
平安時代末期
一棟
桁行五間、梁間四間、一重(単層)、寄棟造、茅葺、西面
附 厨子 1基
一間厨子、入母屋造、板葺
附 棟札 2枚
銘「造営宝永七(庚寅)七月穀旦」の記があるもの 1
「修覆明和三(丙戌)三月十九日」の記があるもの 1
〔昭和48.11.29付け現状変更による構造及び形式の変更〕
桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、茅葺
附 厨子 1基
一間厨子、入母屋造、板葺
棟札 2枚
上棟宝永七庚寅七月穀旦の記があるもの 1
維時明和三丙戌三月十九日の記があるもの 1(主要寸法)
区分/摘要/寸法
桁行/桁行両端柱間真々/12.272m
梁間/梁間 〃 /9.817m
軒の出/側柱真より茅負外下角まで/1.591m
軒高/柱礎石上端より茅負外下角まで/3.303m
棟高 〃 棟頂上まで/10.599m
平面積/側柱内側面積/120.47㎡
軒面積/茅負外下角内側面積/200.89㎡
屋根面積/平葺面積/292.98㎡
(構造形式)
桁行五間、梁間四間、単層、寄棟造、茅葺、西面。礎石自然石。内陣部三間二間には、土壇を築き、礎石を据え、総円柱を立てる。足固貫、内法長押、頭貫。柱頭大斗肘木、間斗束、小壁には琵琶板、正面2か所装飾的虹梁木鼻、正面三間頭貫下幕板付。内陣四周、一間通入側角柱面取、足固、地長押、内法長押、内法貫、柱頭舟肘木、内部吊束、琵琶板、繋虹梁、内陣長押、入側舟肘木構架、軒芽負、裏甲一重繁捶。
内部床総拭板張、内陣後半須弥壇、地覆、束、框、格狭間入羽目板。壇上拭板張込、総黒漆塗、一部朱漆塗、漆塗唐様厨子を安置。
内陣天井、長押上蟻壁板、前半小組格天井、後半1段高猿頬天井、入側天井、化粧屋根裏板竪張。
内陣正面三間及び両側面、前端間敷鴨居柱辺付。正面格子戸引違、側面板戸引違。小壁板辺付、無目。背面及び両側面後端間、総板壁横嵌板嵌込。付敷居、外部間柱付側面間無目付。入側正面五間蹴放、、方立、小脇板、藁座付棧唐戸。両側面前より第二間、敷居鴨居板戸引違。
背面中央間敷鴨居、袖板壁付片引板戸。その他柱間全部板連子窓。地覆、胴縁、窓框、窓鴨居、連子板。腰竪羽目、目板打、上窓框押え、下目板押縁付。
正面一間通濡縁、束石自然石、縁束角面取、縁葛、木口板張、中央石階3段、周囲雨落葛石、正面階段脇両側面2段積、背面1段、土間全般に亘り漆喰叩き。
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