山田家本屋
やまだけほんや
周南市
県
有形文化財
江戸時代
山田家本屋は、慶長の頃小早川隆景に仕え、後に湯野の領主竪田元慶の家臣となった山田氏の住宅である。桁行15.76m、梁間7.85m、建坪263.76㎡という大きな平屋建で、屋根は茅葺であったが、現在は鉄板葺きとしている。書院造りの中門にあたる部屋が母屋から庭に突出して建てられ、霊舎の間、局の間、奥の間、仲間部屋、化粧部屋などがあり、台所回りのムシロ天井や、中二階の隠し部屋、座敷の刀隠し、外部から開かれない回転式雨戸など、中世末の武家屋敷の趣きと、民家風の疏素朴な構えをもった屋敷である。建築年代ははっきりしないが、江戸時代中期頃と見られる。1964年に所有者から徳山市に寄付された。
現在、湯野に移築復元されています。
山田家本屋は、小早川隆景(こばやかわたかかげ)につかえ、のちには湯野の領主の家臣となった山田家の、民家風の大きな平屋建ての屋敷です。台所まわりのムシロ天井や、中二階の隠し部屋、座敷の刀隠し、外部から開かれない回転式雨戸など、中世末の武家屋敷の様子がうかがえます。建てられたのは、おそらく江戸時代中頃とおもわれます。
現在、湯野に移築復元されています。
山田家本屋 1棟
有形文化財(建造物)
昭和41年6月10日(山口県教育委員会告示 第5号)
周南市
江戸時代 元禄年間
一棟
建物はもとは茅葺で、263.76㎡(82坪)、15室という大きな平家建で、書院造りの中門にあたる部屋が母屋から庭に突出して建てられ、霊舎の間、局の間、奥の間、仲間部屋、化粧部屋などがあり、台所回りのムシロ天井や中二階の隠し部屋、座敷の刀隠し、外部から開かれない回転式の雨戸等、室町時代の武家屋敷の趣きと民家風の素朴な構えをもった屋敷である。現地に移築復元したものは、旧屋敷の約60%にあたる162.46㎡(49坪)である。
山田家本家は慶長の頃、小早川隆景の家臣で、後に湯野の堅田元慶の家臣となった山田氏の住宅で、萩藩の侍講、堅田家の重臣、橿原神宮の宮司、そして学者歌人等多彩な人物の輩出した家柄である。毛利英霊公をはじめ、鈴木重胤、村田清風、梅田雲浜、中山三屋女、頼三樹三郎等が立寄ったと言うことである。文化財としての価値について挙げると、
1.封建時代には防備の政策上、街道の要所に物見の役をする人物を配置したものであるが、山田家もそういう目的も秘めて山陽街道の要衝に建てられたものと考えられる。
2.大きな在郷武家の遺構が今日まで遺っていたこと。
3.草葺の曲家で250年という古い年代のものが存在していたことは極めて珍しい。
4.曲家の突出した部分、即ち書院造の中門にあたる部屋が、接客の用途そのままに、中門という名称で今日まで使用上の伝統を守っていたこと。
5.台所廻りに民家風の素朴な構えが遺されていたこと。
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