周防国分寺楼門
すおうこくぶんじろうもん
防府市
県
有形文化財
安土桃山時代
防府市国分寺町国分寺境内に所在する。いわゆる楼造りで、下層の桁行9.94m、下層梁間6.0m。上層の桁行9.0m、上層の梁間5.15mである。棟高は12.12m、下方建坪数は59.4㎡である。柱はすべて円柱で、下層の正面中央一間が通路、両脇間は前方一間四方は金剛柵、後方には仁王を安置している。屋根は入貫屋造り、本瓦葺きである。軒下は禅宗様の扇垂木である。
往昔の仁王門は1417年(応永24)に焼失し、現在のものは1596年(文禄5)に毛利輝元が再建したものである。このことは当時の棟札があってはっきりする。その後1767年(明和4)に毛利重就が大修理を施した。さらに明治末年に修理をし、1956年には解体修理がなされ、現在に至っている。
国分寺の大伽藍にふさわしい宏大な門である。
防府市の国分寺にあります。楼造り、柱はすべて円柱、下層の中央が通路、四方は金剛柵、後方には仁王を安置しています。
国分寺は、奈良時代に聖武天皇によって全国に建立された国分寺の一つです。昔の仁王門は室町時代に焼け、いまのものは安土桃山時代の末に、毛利輝元(もうりてるもと)が再建したものです。その後江戸時代、明治、昭和と修理がなされ、現在に至っています。国分寺の大伽藍にふさわしい宏大な門です。
周防国分寺楼門 1棟
有形文化財(建造物)
昭和41年6月10日(山口県教育委員会告示 第5号)
防府市国分寺町2番67号
宗教法人 国分寺
桃山時代末期 文禄5年(1596)
一棟
桁行3間、梁間2間、重層入母屋造、屋根本瓦葺。基礎自然石、上布石敷き、礎盤据付け、周囲は土間漆喰叩き。正面階段、級花崗石、背面一筋雨落葛石溝石据え、両側面一筋布石据付。下層軸部総円柱、地覆腰貫を通し、飛貫頭貫木鼻繰形付き、飛貫頭貫間、横嵌板嵌込み、正面中央1間、通路両脇間、2本胴縁に金剛棚 中央側面両側は腰貫、上端1尺5寸、金剛棚貫止め。中央正面、敷居両側に方立竪て、入口桟唐戸釣金具にて2枚建て、柱方立間嵌板嵌込み。両脇間(仁王像前)、蹴板腰貫間、金剛棚、腰貫虹梁下端に格子組戸嵌込み、虹梁側面上端、大瓶束立花絵様付、頭貫通柱、大瓶束間、横嵌板嵌込み。円柱間斗束上、大斗置肘木組3斗、通り肘木以って天井受となす、中間は何れも隅斗組天井棹として歩板張り。両側面背面、腰貫地覆間、竪嵌板張り、腰貫飛貫間、竪嵌板張り、腰貫上端嵌板前水切付。階上円柱土居桁上立て、内法長押付、頭貫通し、正面背面 中央間、方立竪て、桟唐戸建て、3ヶ所、脇間火燈窓付2ヶ所、両端間方立桟唐戸建。側面2間、火燈窓2ヶ所付、各々柱当り、竪板嵌板嵌込、火燈窓内部に寄せ1本溝付、明障子2本建て。側柱上、大斗置肘木3斗組、通肘木間、板支輪雲絵様彫、一手先組尾捶構え、間斗間、嵌板嵌込み、隅は隅組、斗隅尾捶、2重隅木を受け。丸桁下雲肘木、3斗組尾捶にて支え、椽板下層斗上に張り付、周囲高欄、地覆平外部、桁架木、斗束柄束立て。軒回丸桁を通し、地捶反り付、木負反り付、飛檐捶茅負欠き、裏板地捶、飛檐捶上、竪板張、茅負上端に布裏甲付、瓦座打止め、地捶丸桁間、嵌板嵌込み。上屋根、入母屋、妻飾り、化粧前包上に、虹梁を納め、大瓶束建斗組、棟木実肘木組、指母屋受く。支外捶を打ち、裏板竪板張り、破風懸魚、六葉鰭付。大棟は、正面背面共慰斗積み、丸巴瓦慰斗積み、雁振にて覆い、両端鬼板鳥衾にて納む。隅棟降り棟、慰斗積、雁振鳥衾鬼板付。
〔規模〕
下層桁行 32尺8寸(9.94m) 棟 高 40尺(12.12m)
下層梁行 19尺8寸(6.0m) 上建坪 14坪2勺(46.2㎡)
上層桁行 29尺7寸(9.0m) 下建坪 18坪4勺(59.4㎡)
上層梁行 17尺 (5.15m) 延 坪 32坪6勺(105.6㎡)
軒 高 28尺 (8.48m)
軒 出 10尺 (3.03m)
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