法輪寺本堂
ほうりんじほんどう
下関市
県
有形文化財
室町時代
下関市菊川町七見にある古寺である。桁行6.5m梁間6.5m、屋根は寄棟造り一重で、本瓦葺きである。軸部は和様の手法で、柱は角柱、軒廻りは半繁垂木一と軒である。内陣は丸柱に頭貫台輪を備え、拳鼻をつけ、禅宗様の手法である。1958年(昭和33)に修理の際、棟木から応永二十年に熊野若王子権現の社殿として造ったとの墨書銘が発見され、応永二十年(1413)の創建が明らかである。柱の大面取りや、内陣拳鼻の渦巻の曲線など、室町相応のものである。なお境内には天神宮の小祠がある。結組、板唐戸、台輪など禅宗様の手法で作られている。桃山時代を下らぬ建物である。
法輪寺は、下関市菊川町に古くからある寺です。
この堂は、室町時代に、熊野若王子権現の社殿として造られました。
境内には天神宮の小祠もあり、こちらは安土桃山時代以前の建物とおもわれます。
法輪寺本堂 1棟
付 棟木1本 応永二十年の墨書がある
天神社宮殿1棟
有形文化財(建造物)
昭和42年7月4日(山口県教育委員会告示 第12号)
下関市菊川町大字七見字堂の前454番地
室町時代(旧棟木墨書による)
付 天神社宮殿
室町時代~桃山時代
室町時代(旧棟木墨書による)
付 天神社宮殿
室町時代~桃山時代
一棟
建坪 42.25㎡、桁行 6.5m、梁間 6.5m
軒出(柱真より茅負外角まで)1.63m、床高(地盤より床板上端まで)0.61m桁高(柱石上端より桁口脇まで)0.12m、棟高(柱石上端より棟瓦上端まで)4.5m
付 天神社宮殿
唐様、但し扉和様、正面1間小脇付両開板唐戸建、柱丸柱、頭貫差し、台輪付、三手先唐様結組、屋根一文字(平面)、側面及背面板羽目。
付 棟木 墨書
奉造立熊野若王子権現御社一字応永第弐十年(癸巳)七月廿六日上練金山長福寺住職比丘慈薫謹建荘主比丘通珠 敬白
右為天長地久御願円満国守 願主左内人民安穏快楽
大工多々良儀貞 小工
大工司藤原貞宗 公文源 景久
方位南面、桁行三間、梁間三間、屋根本瓦葺寄棟造り、1重
基礎。自然石大玉石据え。軸部、和様、柱角柱大面取、桁置渡し、腰貫固め、飛貫差し。柱間構造 正面中央格子戸引分け、両脇間下部嵌込戸、上部拮上げ戸構え、側面前端間片引板戸建込み、後二間横羽目板嵌め、背面中央引違板戸建て、両脇間横羽目板嵌め。軒回り 半繁直捶一と軒、裏板縦板張り、茅負反り付、延裏甲打ち。内陣 唐様、丸柱頭貫台輪備え、拳鼻付き、内部須弥壇構え、両側面一部秀格子嵌込み、他板羽目。外陣 脇陣境襖引違建て、天井各部棹縁天井構え。
(規模)
建坪 42.25㎡、桁行 6.5m、梁間 6.5m
軒出(柱真より茅負外角まで)1.63m、床高(地盤より床板上端まで)0.61m桁高(柱石上端より桁口脇まで)0.12m、棟高(柱石上端より棟瓦上端まで)4.5m
下関市←菊川町(昭和42.7.4)(山口県教育委員会告示 第14号)
組物内の小さな彫刻及び拳鼻に、粗雑ながら室町調の彫刻がある。板扉の裏側仕上鉋に「やり鉋」の跡があるので桃山時代を下らないと思われる。
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