絹本著色毛利元就像
けんぽんちゃくしょくもうりもとなりぞう
山口市
国
重要文化財
室町時代
山口市野田の豊栄神社の所蔵である。掛幅装で寸法は縦97cm、横49.8cmである。大絞、侍烏帽子の姿で、扇を持ち合口を差して座す威風堂々とした寿像である。図面上部に南禅寺の仁如集尭が1562年(永禄5)に書いた賛がある。これによると元就の長子隆元が父の寿容を描かせて賛を求めたことがわかる。永禄5年は元就66歳であった。元就はこの前年陸奥守に任ぜられ、この年5月に従四位上に叙せられた。そしていよいよ中国地方10ヶ国を併呑しようとする時であるが、この図は内に気魄をこめた老将の姿がよく描かれている。元就の画像はこの外にも数点あるが、生前の画像はこれのみである。すなわち永禄の確証ある寿像として価値の高いものである。
本図に描かれている毛利元就(もうりもとなり)は、戦国時代の武将で、安芸国吉田郡山(こおりやま)に本拠をおいて、毛利家を一代で中国地方一の大名家に成長させた人物です。
画の上方に、南禅寺(なんぜんじ)の仁如集尭が1562年に書いた賛(さん)があります。これによると、元就の長男隆元(たかもと)が、父の姿を描かせ、仁如集尭に賛を求めたことがわかります。このとき元就は66歳でした。生前に描かれた画はこれだけです。
画の寸法は、たて97cm、横50cmです。
絹本著色毛利元就像
永禄五年九月仁如集堯の賛がある
重要文化財(絵画)
昭和44年6月20日 (文部省告示 第285号)
山口市春日町8-2 山口県立山口博物館←山口市野田 (昭和45年4月7日、委保第13の5号)
宗教法人 豊栄神社
室町時代 永禄5年(1562)
一幅
絹本著色、掛幅装
直衣、侍烏帽子の姿で左腰に腰刀を差し、右手に蝙蝠扇を持ち、襪を覇き、面を向って右方に向け、高麗縁上畳に坐す。左手傍に太刀を置く。顔貌は頬骨高くやせる。肉身は白肉色で耳殻、眼窩、鼻梁及び額皴、目尻皴は淡墨で描き、眼は濃墨をさす。眉、髯鬚は濃墨で細線描。眉と眼窩の間、目尻鼻際に淡い朱隈がある。口は朱に墨の輪郭線。直衣は焦茶で一文字三星の紋を胡粉で描く。衣文線は濃墨、胸元に垂れる紐は淡紅色、下著は萌黄、その上に水浅黄の襟。襪は黄地に茶の立湧。扇及び太刀、腰刀の金具に金泥を使い墨で輪郭線をとる。上畳は緑で縁は胡粉地に墨の文様描。上に向って右から左に29行の賛文がある。
縦97cm、横49.8cm
凡其本大者枝葉繁茂、其源高則江派渺瀰、茲案、大江氏本源
人皇五十一代 平城天皇之嗣阿保親王 々々令子大江音人
本姓土師、以 桓武天皇外戚、改為大枝氏、至音人改枝為江、嚮
所謂枝葉江派併安乎、天長十年音人廿三歳、補文章生、貞観
六年五十六歳、献章、任参議、在官十二年、是為江家祖宗也、有兄弟
五人在原業平為末弟也、後二百年、延久帝御宇、王畿有恠、
帝愁之、一夕夢或告曰、竹人攘災、覚後門群臣、無委者、江都督匡房
奏曰、範俊也、帝日何也、都督日、範俊従竹人、帝感悟詔俊除其
災矣昭々于釋書也、又承徳二年、匡房任大宰帥、康和五年解印、持
孔聖像歸洛、為大学寮本尊、今傳焉、撰江家次第廿巻、朝廷礼儀
規模無不載之、為本朝大儒宗者也、今藝州主君大江朝臣毛利
陸奥守元就蚤歸依三寶法名曰日頼徽號稱洞春、論其権則、治國者
以十数焉領、軍者以万数焉、古匡房卿領大宰西州九國二島而住者
五年也、想□(夫)、公之系譜亦其后胤乎、漸向五百年、宜哉、本大而
繁茂、源高而渺瀰者、大江氏云乎哉、常春公云乎、嗚呼盛矣
前南禅竺雲大禅師以□(英)檀故、伝令嗣光禄隆元公命而綵繪
公寿容 就小野乞題一語於上、予雖昧識面、与禅師以有素、不敢
峻拒、且挙其一二讃日
威加海寓、名達雲衢、黼黻
今皇即位朝儀、致、君堯舜、究宗師透渕密旨、接衆江湖賢守封
陸奥侯、権輿日或而有光元史文献、名家出大江氏、濫觴岷山而以
弥禹貢州都、堤吹毛利剱而平敵則智淬干莫揮便面小扇而談兵
則謀合孫呉、仰瞻錦袍升壇韓信、辱被息栄賞賜、髣像鐵鎧臨陣蔡祐、
好褒忠勇壮夫、虎頭相懐班超大志、蝟毛磔将桓温美鬚、三星重輝月宮
豪貴累代絞張軍幕、九州道風海外、提封並境賦輸宮租、吟詠倭歌
玩弄鵜本鷺本詞鼻諸集継躅敷島、信敬竺典課持羊車鹿車妙芬大乗、
傾誠浮屠、列國同盟其言必言、善隣至宝維徳不孤、夫是之謂
家督紹隆元、首在寿山、萬々歳嵩呼者也
永禄五年龍集壬戌季秋上澣、前南禅鹿苑、小此丘集堯
(朱文方角印) 不明 (朱文鼎印)
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