絹本着色大庵須益和尚像
けんぽんちゃくしょくたいあんすうえきおしょうぞう
山口市
県
有形文化財
室町時代
山口市香山町瑠璃光寺の所蔵である。掛幅装で、寸法は縦85.5cm、横39cm。
瑠璃光寺開山の頂相(ちんぞう)で、椅子に坐し、右手に払子、左手を拳に結ぶ。濃い彩色図で、室町時代中後期の肖像画の様式がよく出ている。
上方に僧直心の賛があり、賛には永正8年(1511)の年号がある。大庵須益は1473年(文明5)に没しているので、没後38年に描かれたものである。
瑠璃光寺ははじめ安養寺と称し、1471年(文明3)に陶弘房の夫人が、夫の戦死をとむらうため仁保に建立した寺である。この安養寺の開山が大庵須益である。安養寺は1494年に伽藍を隣山に移し、瑠璃光寺と改めた。1690年(元禄3)に山口町に移り来って現在に至っている。
瑠璃光寺を開いた大庵須益(たいあんすうえき)の肖像です。
室町時代の1511年に描かれました。大庵須益(たいあんすうえき)は1473年に没しているので、亡くなってから38年たって描かれたものです。
寸法はたて85.5cm、横39cmです。
瑠璃光寺は、1471年に、陶弘房(すえひろふさ)の夫人が、戦死した夫をとむらうため仁保に建立した寺です。1690年に山口に移り、現在に至っています。
絹本着色大庵須益和尚像
永正八年辛未霜月十五日直心の賛がある
絵画
昭和45年4月1日 (山口県教育委員会告示 第3号)
山口市春日町8番2号 山口県立山口博物館
宗教法人 瑠璃光寺
室町時代 永正8年(1511)
一幅
絹本着色、掛幅装
曲に坐し、右手に払子をもつ頂相形式である。
縦85.5cm、横39cm
画賛がある。文字は剥落により不明のものあり。
兀坐胡床振恵辨 利生接物立て眞宗 一柱鳥跋重吹瑞
□尺竜泉不露鋒 □入金莫岩畔菊 □飜白石屋頭枩
□香□嶌大人相 □木林梢海日紅
希音曲蔵持先師眞像并自賛 因余儒書 々以應命直心叟
時永正八年辛未霜月十五日
大庵須益は瑠璃光寺開山である。瑠璃光寺ははじめ安養寺とし称し、文明3年(1471)に陶弘房の夫人が、夫の戦死をとむらうため仁保小高野に建立した寺である。この安養寺の開山が石屋門下の知識大庵須益で、文明5年(1473)に没した。
安養寺は明応元年(1492)伽藍を隣山に移し、弘房随身の薬師如来をもって本尊とし、瑠璃光寺と改めた。
元禄3年(1690)山口町の木町に移り来り現在に至っている。
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