絹本着色尼子晴久像
けんぽんちゃくしょくあまごはるひさぞう
山口市
県
有形文化財
室町時代
山口県立山口博物館所蔵である。
掛幅装で、寸法は縦76.5cm、横40.5cm。
尼子晴久が大紋を着用し、右手に扇子を持ち、小刀をたばさみ、左側に太刀をたて掛けている。淡緑色の大紋は、たちおもだかの紋を右左に2個宛描いてある。顔は淡褐色に彩色し、口ひげ、あごひげを生やし、烏帽子はかぶっていない。描線は全般に力強く描かれており、制作年代は戦国末期、16世紀末頃と思われる。
晴久は1514年(永正11)に政久の子として生まれた。経久の孫である。経久の死後家督を継いだ。1542年、富田城に迫った大内・毛利の連合軍を破り大いに武威を示した。1552年修理大夫に任ぜられ、山陰、山陽8ヶ国の守護となった。没年については諸説があるが、1560年(永禄3)とするものが多い。
山口県立山口博物館にあります。
寸法はたて77cm、横41cmです。
つくられたのは戦国時代末、1500年代の終わりごろと考えられています。
尼子晴久(あまごはるひさ)は1514年に、政久(まさひさ)の子、経久(つねひさ)の孫として生まれました。経久が亡くなったのち家督をつぎ、1542年には大内・毛利の連合軍との戦いに勝ち、おおいに武威をしめし、山陰、山陽8ヶ国の守護となりました。亡くなった年についてはよくわかっていませんが、1560年とおもわれます。
絹本着色尼子晴久像
絵画
昭和49年11月8日 (山口県教育委員会告示 第5号)
山口市春日町8-2 山口県立山口博物館
山口県
室町時代末期
一幅
絹本着色、掛幅装
縦76.5cm、横40.5cm、総縦156cm、総横52.5cm
尼子晴久(1514~1560)は、永正11年政久の子として生まれた。経久の孫である。初め詮久、後に民部少輔。
天文10年(1541)経久の死後、家督を継いだが、実際には天文6年以来、老年の経久にかわり治世にあたり、諸方を攻略していた。
天文11年、富田城に迫った大内・毛利の連合軍を破り大いに武威を輝かせた。天文21年(1522)修理大夫に任ぜられ、出雲、隠岐、伯耆、因幡、美作、備前、備中、備後の8か国の守護となった。
没年については、永禄3年、同4年、同5年の3説があるが、永禄3年説をとるものが多い。天威心勢大居士と諡す。
尼子経久、晴久の画像の所有者末岡みつ子氏は、尼子宗家が改姓した佐々木家の出身である。
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