太平記 吉川元春筆
たいへいき きっかわもとはるひつ
岩国市
国
重要文化財
室町時代
所在地 吉川史料館(岩国市)
作 者 吉川元春筆
時 代 室町時代 1563~1565年
太平記は南北朝時代の戦乱を記録した軍記物語で、歴史書、兵書としての価値もあり、広く戦国時代の武人に愛読された。本書は「吉川本太平記」といわれるもので、本文はカタカナ交じりで、太平記の古い形式を良く伝えている。奥書の朱筆によれば、吉川元春が第1冊を1563年(永禄6)12月に書き写し、その後各巻の書写を行い、1565年(永禄8)7月に第39冊の書写を完成している。別に自筆の太平記目録1冊もある。
吉川元春は毛利元就の次男で、吉川家の養子となり、弟の小早川隆景と力を合わせ1562年(永禄5)以来5年かけて出雲の尼子義久を攻撃し、ついに富田月山城を1666年(永禄9)に落城させた。本書を書写した永禄7~8年は富田月山城を包囲攻撃していた時期にあたる。こうした時期に書写を行った元春の好学ぶりがうかがわれる。
太平記は、南北朝時代の戦乱を記録した軍記物語です。歴史書、兵書としての価値もあり、広く戦国時代の武士に読まれました。本書は吉川元春が書き写したもので、カタカナまじりで書かれ、太平記の古い形式を良く伝えています。奥書によれば、元春は第1冊を1563年12月に書き写し初め、1565年7月に完成しています。
吉川元春は毛利元就の次男で、吉川家の養子となり、弟の小早川隆景と力を合わせ1562年以来6年かけて出雲の尼子義久(あまごよしひさ)を攻撃し、ついに富田月山城を落城させました。この本を書き写した年は、その富田月山城を包囲攻撃中の陣中においてでした。
太平記 吉川元春筆
各冊自永禄六年至同八年書与奥書
附 太平記目録 一冊
重要文化財(書跡)
昭和34年12月18日 (文化財保護委員会告示 第67号)
吉川史料館(岩国市横山2-7-3)
財団法人吉川報效会
室町時代 永禄6年~8年(1563~1565)
四〇冊
吉川元春筆
紙本墨書、袋綴冊子装
各冊 縦28.2cm、横20.6cm
吉川元春は享禄3年(1530)、毛利元就の第2子として生れ、従兄吉川興経の養嗣となった。性豪邁であって、しかもよく文事を解し、文武兼備の名将として知られている。弟の小早川隆景と力をあわせて父元就をたすけ、弘治元年(1555)陶晴賢を厳島に討滅し、ついで長駆して防長石三州を席捲し、永禄5年(1562)以来尼子義久を出雲富田城に攻略し5年にしてこれを降した。
太平記は南北朝時代争乱の顛末を記した軍記物語で、文章は漢文調を交えて豪壮絢爛、文学作品として法師などにより講釈もせられたが、史書としても相当の価値を有し、また兵書として戦国時代武人の間でひろく愛読せられたものである。
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